ふと、振りかえって、女のうしろ姿を見送りながら、
「もし……」性善房は、範宴の袂(たもと)を、そっと引いた。
「――あの女房、泣いているではありませんか」
「町の者であろう」
「欄干へ寄って、考えこんでいます。おかしな女子(おなご)だ」
「見るな、人に、泣き顔を見られるのは憂(う)いものじゃ」
「参りましょう」
二人は、そういって、歩みかけたが、やはり気にかかっていた。
五、六歩ほど運んでから再び後ろを振り向いたが、その僅かな間に、女のすがたはもう見えなかった。
「や、や?」
性善房は、笈(おい)を下ろして、女のいたあたりへ駈けて行った。
そして、欄干から、のめり込むように川底をのぞき下ろして、
「お師様、身投げですっ」と手を振った。
範宴は、驚いた。
そして自分の迂闊(うかつ)を悔いながら、
「どこへ」と側へ走った。
性善房は、暗い川面を指さして、
「あれ――、あそこに」といった。
水は異様な渦を描いていた。
女の帯であろう。
黒い波紋のなかに、浮いては、沈んで見える。
「あっ、あぶないっ……」
性善房が驚いたのは、それよりも、側にいた範宴が、橋の欄干に足をかけて、一丈の余もあるそこから、跳び込もうとしているからであった。
抱きとめて、
「滅相もないっ」と、叫んだ。
「――私が救います。お大事なお体に、もしものことがあったら」
と、彼は手ばやく、法衣を解きかけた。
すると、河原の方で、
「おウい……」
と、男の声がした。
二、三人の影が呼び合って、駆けつけてきたのである。
川狩をしていた漁夫(りょうし)であろうか、一人はもうざぶざぶと水音を立てている。
川瀬は早いが、幸いに浅い淵に近かったので苦もなく救われたのであろう、間もなく、藻(も)のようになった女の体をかかえて岸へ上がってきた。
「ありがとう」
範宴は、礼をいいながら、男たちの側へ寄って行った。
女は、まだ気を失っていないとみえて、おいおいと泣きぬいていた。
両手を顔にあてながら身を揺すぶって泣くのである。
「どう召された」
性善房が、やさしく、女の肩に手をやってさし覗くと、女は不意に、
「知らないっ、知らないっ」
その手を振り払って、まっしぐらに、宇治の橋を、町の方へ、駈けだして行くのであった。
「あっ、また飛びこむぞ」
男たちは、そういったが、もう追おうともしないで、舌打ちをして見送っていた。