ちらと、彼方に灯が見えた。
町の灯である。
生紙(きがみ)へ墨を落したように、町も灯も山も滲(にじ)んでいた。
「宇治だの」
範宴は立ちどまった。
足の下を迅い水音が聞える。
やっと、黄昏れに迫って、この宇治川の大橋へかかったのであった。
「さようでございまする。――もういくらもございますまい」
云い合わしたように、性善房も、橋の中ほどまで来ると、欄に見を倚(よ)せかけて、一(ひと)憩(やす)みした。
ひろい薄暮の視野を、淙々(そうそう)と、秋の水の清冽が駈けてゆく。
範宴は冷やかな川の気に顔を吹かれながら、
「――治承四年」
とつぶやいた。
「わしはまだ幼かった。
おもとはよく覚えておろう」
「宇治の戦でございますか」
「されば、源三位頼政殿の討死にせられたのは、この辺りではないか」
「確か。……月は五月のころでした」
「わしには、母の君が亡逝(みまか)られた年であった。
……母は源家の娘であったゆえ、草ふかく、住む良人(おっと)には、貞節な妻であり、子には、おやさしい母性でおわした以外、何ものでもなかったが、とかく、源氏の衆と、何か、謀叛気でもあったかのように、一族どもは、平家から睨まれていたらしい。さだめし、子らの知らぬご苦労もなされたであろう」
「いろいろな取り沙汰が、そのころは、ご両親様を取り巻いたものでございました」
「さあれ、十年と経てば、この水のように、淙々と、すべては泡沫(うたかた)の跡形もない。――平家の、源氏のと、憎しみおうた人々の戦の跡には何もない」
「ただ、秋草が、河原に咲いています。――三位殿は、老花(おいばな)を咲かせました」
範宴は、法衣の袂から数珠を取りだして、指にかけた。
高倉の宮の御謀議(おんくわだて)むなしく、うかばれない武士(もののふ)たちの亡魂が、秋のかぜの暗い空を、啾々(しゅうしゅう)と駈けているかと、性善房は背を寒くした。
母の吉光の前と源三位頼政とは、同じ族の出であるし、そのほか、この河原には、幾多の同血が、屍(しかばね)となっているのである。
範宴は、またいとこ複従兄弟にあたる義経の若くして死んだ姿をも一緒に思いうかべた、そして、そういう薄命に弄(もてあそ)ばれてはならないと、わが子の未来を慮(おもんぱか)って、自分を僧院に入れた母や養父や、周囲の人々の気もちが、ここに立って、ひしとありがたく思いあわされてくるのでもあった。
その霜除けの囲いがなければ、自分とても、果たして、今日この成長があったかどうか疑わしい。
自分の生命は、決して、自分の生命でない気がする。
母のものであり同族のものであり、そして、何らかの使命をおびて、自身の肉体に課されているこの歳月ではあるまいか――などとも思われてくるのであった。
「…………」
数珠が鳴った。
性善房も瞑目(めいもく)していた。
すると、その二人のうしろを、さびしい跫音(あしおと)をしのばせて、通りぬけてゆく若い女があった。