捨てておけない気がした。
範宴は駈けだしつつ
「ああ迅(はや)い足だ、性善房、おもと一人で、先に走ってあの女を抱きとめい」
「かしこまりました」
性善房は、宙をとんで、もう宇治の大橋を彼方へ越えてしまった女の影を追って行った。
案のじょう、女は橋をこえると、町の方へは向わないで、河原にそって上流の方へ盲目的に取り乱したまま駈けてゆく。
「これっ、どこへ参る」
性善房がうしろから抱き竦(すく)めると、女は、甲(かん)ばしった声で、
「どこへ行こうと、大きなお世話ですよ、離してください」
「離せません。おまえは死のうとする気じゃろう」
「死んでわるいんですか」
青白い顔を向けて、女は、食ってかかってくる。
その眼ざしを見て、
(これは)と性善房は思わず面を背けてしまった。
つりあがった女の目は、光の窓みたいに尖っていた。
髪は肩へ散らかっているし、水浸しになった着物だの、肌だのを持って、寒いとも感じないほど、逆上してしまっている。
「なぜ悪いのさ」
女は僧侶のすがたを見て、ことさらに反感を抱いたらしく、かえって、詰問してくるのだった。
「わるいにきまっています。人間にはおのずから、定められた寿命がある。一時の感情で、生命(いのち)を捨てるなどは、愚か者のすることです」
「どうせ私は、愚か者です。愚か者なればこそ」
しゅくっと、嗚咽(おえつ)して、
「男に……男に……」
他愛なくわめいて、また、
「死なして下さい」
「そんなことはできない」
「面当(つらあて)に、死んでやるんです」
と、おそろしい力でもがいた。
性善房が持ち前で、そのかぼそい手頸(てくび)を捻(ね)じ上げて、範宴の来るのを待っていると、女は性善房が憎い敵ででもあるように、指へ噛みつこうとさえするのだった。
「落着きなさい。
……痴情の業(わざ)のするところだ、醒(さ)めた後では、己れの心が、己れでもわからないほど、呆(あ)っ気ないものになってくる」
「お説教ならお寺でおしなさい。
私は、坊さんは嫌いです」
「そうですか」
苦笑するほかはない。
範宴が、追いついてきた。
「どうした、性善房」
「抑えました」
「ひどいことはせぬがよい」
「なに、自分で狂い廻って、泣きさけぶのです」
「お女房――」
範宴は背をなでてやって、
「行きましょう」
「どこへさ」
「あなたのお宅まで、送ってあげます。風邪をひいてはなりません。着物も濡れているし…」
「死ぬ人間に、よけいなおせっかいです。かまわないで下さい」
女人は救い難いものとはかねがね聞かされているところであったが、こういうものかと、範宴は、しみじみと見つめていた。