親鸞・去来篇1月(5)

「姫、ごあいさつをせぬか、叔父さまに――」

兼(かね)実(ざね)がいうと、まだどっかこうあどけ(、、、)ない姫は、笑ってばかりいて、

「後で」

と、女房たちの後ろにかくれた。

慈円には姪(めい)にあたる姫であって、兼実にとっては、この世にまたとなき一人(ひとり)息女(むすめ)の玉(たま)日(ひ)姫(ひめ)である。

「玉日――」

慈円は呼んで、

「あいさつは、あずけておこうほどに、猿楽の真似(まね)を一つ見せい」

すると、また、玉日も、女房たちも、何がおかしいのか、いよいよ笑って、返辞をしない。

「せっかく、面白う遊戯していたに、この慈円が来たために、やめさせては悪い。舞わねば、わしは帰るほかあるまい」

すると、玉日は、父のそばへ小走りに寄ってきて、その膝に甘えながら、

「叔父さまを、帰しては嫌(いや)です」

「それでは、管弦を始めたがよい」

「叔父さまも、なされば――」

「するともよ」

慈円は、わざと興めいて、

「わしは、歌を朗詠しよう」

「ほんとに?」

姫は、念を押して、女房たちへ向いながら、

「叔父さまが、朗詠をあそばすと仰っしゃった。そなた達も、聞いていらっしゃい」

「はい、はい、僧正さまのお謡(うた)など、めったにはうかがえませぬから、ちゃんと、聞いておりまする」

「そのかわりに、姫も、舞うのじゃぞ」

「いや」

玉日は、慈円のうしろをちらと見た。

そこに、青白い顔をして梅の幹のように痩せてはいるが凛(りん)としてひとりの青年がさっきからひかえている、その範宴をながめて、はにかむのであった。

慈円は気がついて、

「そうそう、姫はまだこのお人を知るまい」

「………」

玉日は、あどけなく、うなずいて見せた。

父の兼(かね)実(ざね)が、

「叔父さまの御弟子(みでし)で、範宴少納言という秀才じゃ。そなたがまだ、乳人(めのと)のふところに抱かれて青(しょう)蓮院(れんいん)へ詣(もう)でたころには、たしか、範宴も愛くるしい稚(ち)子(ご)僧でいたはずじゃが、どちらも、おぼえてはいまい」

「そんな遠い幼子(おさなご)のころのことなど、覚えているはずはありませんわ」

「だから、恥らうことはないのじゃ」

「恥らってなどおりません」

姫も、いつか、馴れていう。

「じゃあ、舞うて見せい」

「舞うのは嫌、胡弓か、箏(こと)なら弾(ひ)いてもよいけれど」

「それもよかろう」

「おじさま、謡(うた)うんですよ、きっと」

「おう、謡うとも」

慈円が、まじめくさって、胸をのばすと、兼実も、女房たちも、笑いをこらえている。

範宴は、ほほ笑みもせず、黙然(もくねん)としたきりで、澄んだ眸をうごかしもしない。