「姫、ごあいさつをせぬか、叔父さまに――」
兼(かね)実(ざね)がいうと、まだどっかこうあどけ(、、、)ない姫は、笑ってばかりいて、
「後で」
と、女房たちの後ろにかくれた。
慈円には姪(めい)にあたる姫であって、兼実にとっては、この世にまたとなき一人(ひとり)息女(むすめ)の玉(たま)日(ひ)姫(ひめ)である。
「玉日――」
慈円は呼んで、
「あいさつは、あずけておこうほどに、猿楽の真似(まね)を一つ見せい」
すると、また、玉日も、女房たちも、何がおかしいのか、いよいよ笑って、返辞をしない。
「せっかく、面白う遊戯していたに、この慈円が来たために、やめさせては悪い。舞わねば、わしは帰るほかあるまい」
すると、玉日は、父のそばへ小走りに寄ってきて、その膝に甘えながら、
「叔父さまを、帰しては嫌(いや)です」
「それでは、管弦を始めたがよい」
「叔父さまも、なされば――」
「するともよ」
慈円は、わざと興めいて、
「わしは、歌を朗詠しよう」
「ほんとに?」
姫は、念を押して、女房たちへ向いながら、
「叔父さまが、朗詠をあそばすと仰っしゃった。そなた達も、聞いていらっしゃい」
「はい、はい、僧正さまのお謡(うた)など、めったにはうかがえませぬから、ちゃんと、聞いておりまする」
「そのかわりに、姫も、舞うのじゃぞ」
「いや」
玉日は、慈円のうしろをちらと見た。
そこに、青白い顔をして梅の幹のように痩せてはいるが凛(りん)としてひとりの青年がさっきからひかえている、その範宴をながめて、はにかむのであった。
慈円は気がついて、
「そうそう、姫はまだこのお人を知るまい」
「………」
玉日は、あどけなく、うなずいて見せた。
父の兼(かね)実(ざね)が、
「叔父さまの御弟子(みでし)で、範宴少納言という秀才じゃ。そなたがまだ、乳人(めのと)のふところに抱かれて青(しょう)蓮院(れんいん)へ詣(もう)でたころには、たしか、範宴も愛くるしい稚(ち)子(ご)僧でいたはずじゃが、どちらも、おぼえてはいまい」
「そんな遠い幼子(おさなご)のころのことなど、覚えているはずはありませんわ」
「だから、恥らうことはないのじゃ」
「恥らってなどおりません」
姫も、いつか、馴れていう。
「じゃあ、舞うて見せい」
「舞うのは嫌、胡弓か、箏(こと)なら弾(ひ)いてもよいけれど」
「それもよかろう」
「おじさま、謡(うた)うんですよ、きっと」
「おう、謡うとも」
慈円が、まじめくさって、胸をのばすと、兼実も、女房たちも、笑いをこらえている。
範宴は、ほほ笑みもせず、黙然(もくねん)としたきりで、澄んだ眸をうごかしもしない。