そこへ、侍女(こしもと)が、菓子をはこんできて、慈円のまえと、範宴のまえにおいた。
慈円は、その菓子を一つたべ、白湯(さゆ)にのどをうるおして、
「えへん」
と咳(せき)ばらいした。
姫も、女房たちも、おのおの、楽器をもって、待っていたが、いつまでも慈円が謡(うた)わないので、
「いやな叔父さま」
と、姫はすこしむずかって、
「はやくお謡いあそばせよ」
あどけなく、鈴のような眼をして、玉日姫が睨むまねをすると、慈円はもう素直に歌っていた。
西寺(さいじ)の、西寺の
老い鼠(ねずみ)、若鼠
おん裳(も)喰(つ)んず
袈裟(けさ)喰んず
法師に申せ
いなとよ、師に申せ
歌い終わるとすぐ、
「兄上、ちと、話したいことがあるが」
と、兼実へいった。
「では、あちらで」
と兼実は、慈円と共に、そこを立って、別室へ行ってしまった。
姫は、つまらなさそうな顔をして、二人の後を追って行ったが、父に何かいわれて、もどってきた。
乳人(めのと)や女房たちは、機嫌をそこねないようにと、
「さあ、お姫(ひい)さま、もう、誰もいませんから、また猿楽あそびか、鬼ごとあそびいたしましょう」
「でも……」
と、玉日は顔を振った。
範宴が、片隅に、ぽつねんと取り残されていた。
女房たちのうちから、一人が、側へ寄って、
「お弟子さま。
あなたも、お入りなさいませ」
「は」
「鬼ごとを、いたしましょう」
「はい……」
範宴は、答えに、窮していた。
「お姫(ひい)さまが、おむずがりになると、困りますから、おめいわくでしょうが」
と手を取った。
そして、
「お姫(ひい)さま、この御房(ごぼう)が、いちばん先に、鬼になってくださるそうですから、よいでしょう」
玉日は、貝のような白い顎(あご)をひいて、にこりとうなずいた。
いうがごとく、迷惑至極なことであったが、拒むまもなく、ひとりの女房が、むらさきの布(ぬの)をもって、範宴のうしろに廻り、眼かくしをしてしまった。
ばたばたと、衣(きぬ)ずれが、四方にわかれて、みんなどこかへ隠れたらしい。
時々、
東寺の鬼は
何さがす――
と歌いつつ、手拍子をならした。
範宴は、つま先でさぐりながら、壁や、柱をなでてあるいた。
そしてふと、眼かくしをされた自分の現身が、自分の今の心をそのままあらわしているような気がして、かなしい皮肉にうたれていた。