くすくすと、そこらで忍びわらいがする。
それを目あてに、範宴は手さぐりをしては、室内をさまよった。
そして、几帳(きちょう)の蔭にかくれていた人をとらえて、
「つかまえました」
と、目かくしをとった。
それは、玉日姫であった。
姫は、
「あら……」
と困った顔をし、範宴は、何かはっとして、捕えていた手を放した。
「さあ、こんどは、お姫さまが鬼にならなければいけません」
と、乳人や女房たちは、彼女の顔をむらさきの布(きれ)で縛ろうとすると、
「嫌っ」
と姫は、うぐいすのように、縁へ、逃げてしまった。
出あいがしらに小侍(こざむらい)が、
「範宴どの、青(しょう)蓮院(れんいん)さまが、お帰りでございますぞ」
と告げた。
範宴はほっとして、
「あ。おもどりですか」
人々へ、あいさつをして、帰りかけると、姫は、急に、さびしそうに、範宴のうしろ姿へ、
「また、おいで遊ばせ」
といった。
振向いて、範宴は、
「はい、ありがとうございます」
しかし――彼は何か重くるしいものの中から遁(のが)れるような心地であった。
こういう豪華な大宮人の生活に触れることは夢のように遠い幼少のころの記憶にかすかにあるだけであって、九歳の時からもう十年以上というもの、いつのまにか、僧門の枯淡と寂寞(せきばく)が身に沁みこんで、かかる絢爛(けんらん)の空気は、そこにいるだにもたえない気がするのであった。
慈円はもう木覆を穿(は)いて、丁子(ちょうじ)の花のにおう前栽(せんざい)をあるいていた。
共をして、外へ出てから、範宴はこういって慈円にたずねた。
「お師さまは、叡山(えいざん)にいれば、叡山の人となり、青蓮院にいらっしゃれば、青蓮院の人となり、俗家へいらっしゃれば、俗家の人となる。
女房たちや、お子たちの中へまじっても、また、それにうち解けているご様子です。
よく、あんな謡(うた)など平気におうたいになれますな」
すると、慈円はこういった。
「そうなれたは、このごろじゃよ。――つまり、いるところに楽しむという境界(きょうがい)にやっと心がおけてきたのじゃ」
「――いるところに楽しむ……」
範宴は、口のうちで、おうむ返しにつぶやきながら考えこんだ。
慈円はまた、
「だが、おもとなどは、そういう逃避を見つけてはいけない。わしなどは、いわゆる和歌詠(うたよ)みの風流僧にとどまるのだから、そうした心境(こころ)に、小さい安住を見つけているのじゃ。やはり、おもとの今のもだえのほうが尊い――」
「でも、私は、真っ暗でございます」
「まいちど、叡山へのぼるがよい。そして、あせらず、逃避せず、そして無明(むみょう)をあゆむことじゃ。歩むだけは歩まねば、彼岸にはいたるまいよ」
どこかの築地(ついじ)の紅梅が、風ともなく春のけはいを仄(ほの)かに陽なたの道に香(にお)わせていた。