性善坊や覚明が、その夜も更けるまで血まなこになって探しているのに、どうしても師の牛車も見あたらなければ、院へも帰って見えなかったのは、次のような思いがけない事故と事情が、範宴の帰途に待っていたからだった。
……
まだ六条の燃えている最中。
鎌倉者の郎党が三人ばかり、松明(たいまつ)をいぶし、牛車の両わきと後ろに一人ずつ従(つ)いて、
「退(の)け、退けっ」
火事を見に走る弥次馬だの、逃げてくる凡下(ぼんげ)や女子供を押しわけて、五条大橋を東へこえてきたのが範宴をのせて聖光院へ送ってくる牛車であった。
川をへだてているものの、火とさえいえば、六波羅のまえは、四門に兵を備え、出入りや往来へ、きびしい眼を射向けている。
辛(から)くも、そこを押し通って、西(にしの)洞院(とういん)の辻まで来ると、鎌倉者にしては粗末な具足をつけた小侍が、
「待てっ」と、ふいに闇から槍をだした。
共をしてきた郎党は透(す)かさず、
「怪しい者ではござらぬ、これは頼家公のお身内土肥(どひの)兼(かね)季(すえ)が家の子にござるが、こよい法話聴聞のために、聖光院よりお迎え申した御門跡範(はん)宴(えん)少僧都の君を、ただ今、主人のいいつけにてお送りもうす途中でござる」といった。
辻(つじ)警固(がため)の小侍は、
「範宴少僧都とな」と、念をおした。
「されば」明答すると、
「役目なれば――」
つかつかと牛車のそばへ寄ってきて、ぶしつけに簾(れん)の内をのぞき見してから、
「よろしい通れ」と許した。
会釈(えしゃく)して、まっすぐに進もうとすると、また呼びとめて、
「あいや、こう行かれい」と、西を指した。
それでは廻り道になると説明すると、小侍は、一方の大路にはこよい探題の邸(やしき)へしのんで賊を働いた曲者(くせもの)があって、討手が歩いているし、胡散(うさん)な者と疑われるとどんな災難にあうかもしれぬから親切に注意するのだといって、
「それをご承知ならばどう参ろうとこちらの知ったことじゃない」
と、そら嘯(うそぶ)いた。
辻(つじ)警固(がため)にそういわれるものを無用にも進みかねて、範宴の意をうかがうと、
「遠くとも、廻り道をいたしましょう、軌(わだち)の入らぬ細道へかかりましたら、降りて歩くも苦しゅうはありません」
「では牛飼」
「へい」
「すこしいそげ」
西へ曲がって進ませた。
その牛車(くるま)と松明(たいまつ)の明りを見送って、下品な笑いかたをして、舌をだした。
すると、並木の暗がりで、
「あははは」
突然、大勢の爆笑が起って、ぞろぞろと出てきた異様な人影が、偽役人(にせやくにん)の彼をとり巻いてその肩をたたき、
「まったく、うめいや、てめいの作り声だの素振りだのは、どう見たって、ほんものの小役人だ。おかしくって、おかしくって、あぶなく、ふき出すところだったぞ、この道化者(どうけもの)め」
と、ある者は、彼の薄い耳を引ッぱって誉(ほ)めそやした。