その夜、範(はん)宴(えん)が求められて法話に行った武家(ぶけ)邸(やしき)は、火事のあった六条の遊女町とはだいぶ距(へだ)たっていたが、それでも、性善坊が息せいて行きついてみると、門前には高張(たかはり)をつらね、数多(あまた)の侍だの、六波羅衆の鞍をおいた駒などが市(いち)をなしていななきあい、こもごもに玄関へ入って、火の見舞いを申し入れていた。
法話に集(つど)っていた人々も、火事ときいて、あらかたは帰ったのであろう。
性善坊は、混雑のあいだをうろうろしながら、家の子らしい一人の侍に、
「うかがいますが」と、腰を下げた。
「こよいの法(ほう)筵(えん)にお越しなされた聖光院の御門跡は、どちらのおいで遊ばしましょうか」
「御門跡?……。おお、あの方なら、今し方、戻られた」
「ははあ、では、もうご帰院にござりますか」
「たった今、お館(やかた)の牛車(くるま)に召されて」
「お供は」
「郎党が、二、三名従(つ)いて行ったはずだが、折悪く、火災があってのう、充分なお送りもできず、申しわけのないことじゃった。おぬしは聖後光院の者か」
「はい」
「いそいで行ったら追いつこうもしれぬ。ようお詫びしておいてくれい」
性善坊はふたたび巷(ちまた)へもどって往来(ゆきき)の牛車(くるま)の影に注意しながら駈けて行った。
けれど、どこで行きちがったか、五条でも会わず、西洞院(にしのとういん)でも会わず、西大路でも会わない。
聖光院へもどるとすぐ、
「覚明、師の房は、お帰りなされたか」
「いいや。……おぬし、お共してもどったのではないのか」
性善坊は、早口に、巷のありさまや行った先の口上を話して、
「わしは、駈けてはきたが、それにしても、もう師の房の方が先にお着きになっていると思うたが……」
「それは、心もとないぞ」
覚明は、房の内から顔を出して、空を仰ぎながら、
「遅いのう」
「うム……いくらお牛車でも」
「胸さわぎがする」と、奥へかくれたと思うと、覚明は、逞しい自分の腰に太刀の革(かわ)紐(ひも)を結(ゆわ)いつけながら出てきて、ありあう下駄を穿(は)き、
「行ってみよう」と、山門をくぐった。
ひところ、叡山(えいざん)の西塔(さいとう)にもいたという義経(よしつね)の臣、武蔵坊弁慶(べんけい)とかいう男もこんな風貌ではなかったかと性善坊は彼のうしろ姿を見て思った。
東山の樹下から一歩一歩出てゆきながらも、二人は今に彼方(かなた)から牛車(くるま)の軌(わだち)の音が聞えてくるか、松明(たいまつ)の明りがさすかと思っていたが、ついに祇園(ぎおん)へ出るまでも、他人の牛車にすら会わなかった。
「いぶかしい?」
「牛車に召されたとあるからは、この大路よりほかにないが」
並木の辻に立って見廻していると、松のこずえから冷たいものが二人の襟へ落ちてくる。
※「法筵(ほうえん)」=仏法を説くところ。経典を講じたり、法話したりする集まり。また、法事の席。