当時、電話相談がない国は日本だけだったんです。
最初友人に「夜八時から九時までの間に何かあったら電話ください」というようなことをハガキに書いて出したんです。
それを見た朝日新聞の厚生省詰めの記者が「これは日本の電話相談第一号だ」なんて取材に来て、大きく記事に取り上げてくれたんです。
それはありがたかったんですが、新聞に載ったらテレビだラジオだ週刊誌にまで書かれ、その年の十月から「いのちの電話」が本格的に始まったんですが、最初は夜だけのつもりが朝からどんどん電話がかかってきて…。
一番の被害者は私の家内ですよ。
「この悩みはどこに電話したらよいのでしょうか…」。
電話の悩みで一番多いのは、やはり病苦、孤独ですね。
孤独というのは、仲間がほしいとか生きがいを求めるんです。
それから、家庭の不和、貧困、経済的というよりも心の貧しさや欲求不満、自己中心といったもの。
そして、今の問題は家庭の荒廃ですね。
つまり少子化、それから過剰な甘やかし、期待とか干渉、教育への異常な関心、受験戦争、親子の情緒的結合の不足というような家庭の荒廃ということです。
家庭の方は学校にいろんなことを求めますけれども、家庭の問題が一番大事なことじゃないかなあと思います。
じゃあ家庭っていうのはどういうことなんだというと、私はいつねも安心して帰れる所、ほっとする所、手足を投げ出してくつろげる所と解釈しています。
鈴木さんという内科医が、
「いつでも頼れる人がそばいるという安心感があればこそ、子どもの自立心が育つのだ」
ということを言っておられますが…。
家庭がなかなかこうはいかないんですね。
そこで、生と死を取り巻く現代医療ということを、家庭あるいは生命ということから見直していきますと、最近は「クオリティ・オブ・ライフ」と言っていますが、今まで医療というのは寿命の延長・生命の延長ということが使命であったわけです。
ですから、昔はお医者さんにとって患者さんの死というものは敗北であったわけです。
私たちがお医者さんにかかるというのは、この病気で死なないために、生命長らえさせてもらうためなんですね。
それが医療の使命だったんです。
ところが私は最近、苦痛の除去ということを言っているんです。
ガン末期などの痛みはモルヒネで取れるようになっていますが、心の痛みまではなかなか取れない。
もう一つはより良い社会復帰ということ、リハビリテーションですね。
病気が治るということは、いかに社会復帰するかということです。
それと死を看取る医療というものが使命としてあるわけです。
そういうことから私が言い出したのが「臨床仏教学」であります。