「長生きしてどうする」−臨床仏教学の提言−(上旬)こんな空気のところで子育てしてはいけない

ご講師:西來武治さん(千代田女学園中学・高等学校学校長)

あるご住職からこんなお話を聞いたことがございます。

その御住職は、朝のお勤めの前に必ず境内のお掃除をするそうです。

ある時から、門前を若い青年がジョギングをして通るようになったんです。

毎朝同じ時間に顔を合わせるんですね。

ある時その若い青年が会釈をして通っていったんです。

しばらくしたら初めて「おはようございます」とあいさつをしてきたから、ご住職は

「おはようございます。毎日熱心に走っておられるが、何か目的があって走っているのですか」

と尋ねたそうです。

そうしたらその青年が「はい、いつまでも健康で長生きしたいですから」と。

そこでご住職が「長生きしてどうするんですか」と言うと、翌日から走らなくなっちゃったんですね。

一週間ほどして、そのお寺で法座が勤まったとき、ひょこっとその青年がお参りに来たんです。

「どうしたんですか風邪でもひいたんですか」

「いや、住職から『長生きしてどうする』と言われて、それが気になってジョギングどころでなくなった」と。

そして「そういう質問をした住職さんだから、お話を聞いたら何か答えが出るかと思って、こうしてお参りさせてもらいました」と言ったそうです。

ところが、この「長生きしてどうする」という問題は、住職からちょっと話を聞いたくらいで分かるもんじゃないですよね。

古今東西の哲学者、思想家、宗教家、みんなこれは一生の課題として、一生かかって答えを出すような大問題であるわけです。

ちょうど昭和四十五年でございます。

ソビエト、今はロシアのコーカサス地方に、長寿村というのがありまして、お医者さんや栄養学者、それから学校の先生など二十五人ほどで訪れました。

当時百二歳とか百十歳とかいう人と会いましたけど、いま考えると日本ほど戸籍がはっきりしてないんですよね。

何のことはない八十歳か九十歳の人たちだったんじゃないかなあなんて思うんですけれども。

ただ感心しましたのは、長寿ということについては遺伝ということがあるわけですね。

それから空気がきれいということ。

環境が静かで、百歳の老人が午前中は国営農場で別に強制労働ではなく、適当に労働して、それで午後はのんびりしている。

それから、いらない神経を使わない。

ストレスがないといいますか、そういう面があるわけです。

そして何よりもお年寄りを長老として尊敬している。

これがやはり一番大事なことだなあと思いました。

日本と違って、お年寄りを本当に大事にしているというところがありました。

私たちはナホトカから船で帰ってきたんですが、東京湾に入った途端、上空がスモッグで真っ暗。

ちょうど高度成長のときですね。

私は若い頃病気をしたので、三十五歳で結婚して女の子二人はまだ小さかったんです。

それで帰ってすぐに「こんな空気のところで子育てしては申しわけない」と思って、翌月に神奈川県の海老名というところに引っ越しました。

そこは富士山は見えるし星は見えるし、長寿村みたいな所で、通勤には一時間半もかかりましたが、しばらく電話が入らなかったんですが、電話が通ったのを機会に「ダイヤルフレンド」という「電話相談」を四十六年の四月から始めました。

これは本来、せっぱ詰まったときに電話をかけるといったような、自殺予防なんです。