自分の血液のなかにはいま、かつておぼえない破壊がはじまっている。
範(はん)宴(えん)はありありとそれを感じる。
この二、三日の頭の鈍痛(どんつう)などがその一例である。
夜の熟睡を久しく知らないのもその現象である。
眸(ひとみ)の裏がいつも熱い、思索力はすっかり乱れてしまった。
これが自分かと改めて見直すほどいろいろな変化が肉体に見出されるのだった。
(この叛逆(はんぎゃく)に負けては)と、強く意思してみる。
しかし数日前の月輪家の招宴から帰った後の状態はさらに悪くなっている、刻々と、意思は蝕(むしば)まれ、信念は敗地へ追いつめられて行く、どうしようもない本能の圧(あつ)す力である。
ぼんやりと空虚(うつろ)なものが今日も彼を坐らせていた、他人が見たらどんな鈍(にぶ)い眸をしているだろうと、自身ですらも思う。
で、病気と誰にもいってある、来訪者にも勿論会うことは避け通しているし、第一仏陀(ぶつだ)の前に出ることが怖かった。
朝の勤行(ごんぎょう)だけは欠かせないものと本堂に坐るのであるが、面(おもて)をあげて仏陀の顔を仰ぎ得ないのだ。
やましいものの塊(かたま)りのように、自分をそこに置いているに耐えられなくなる。
(ご無理をなされてはいけません、どうぞ、ご病床にいて下さい。あなた様お一人のお体ではない、幾多の学徒や衆生の信望を負って、師とも、光とも、仰ぎ慕われていらっしゃるおん身。彼こそは、と五山の大徳や一般の識者からも嘱目(しょくもく)されておいで遊ばす大事なおん身です)
周囲の者は極力そういって、静養をすすめる、まったくの病人と案じているらしい。
そして、性善坊も覚明もともども憂わしげに朝夕(ちょうせき)彼の恢復を祈念しているのだった。
範宴はそれを知るがためにいっそう自責の悶躁(もんそう)につつまれた、彼らに対してすら師として臨む資格はないように思われてくる、あらゆる周囲のものに対して範宴は今まったく裸身になって手をついてしまいたい。(この身は偽瞞(ぎまん)の塊りである)と。
白磁(はくじ)の壺に、牡丹(ぼたん)は、青春の唇を割りかけている、先ごろ、月(つき)輪(のわ)の姫から贈られた室咲(むろざき)のそれである。
悩ましい蠱惑(こわく)の微笑(ほほえみ)をこの花は朝(あした)に夕べに、夜半(よわ)の枕へも、投げかげていた。
その笑(え)みはまた、誰かの笑みとあたかも似ている、ふくらみかけた花弁の肌も香(にお)いも。
ゆうべもその香いにあくがれて自分は越ゆべからざる墻(かき)を越えた、一昨日(おととい)の夜も越えた、世の中の人の誰も知らないことを自分はした、知る人は、姫と、姫の侍女(こしもと)の万野(までの)と、自分だけであった。
ちょうど曇っていた、星すらも眼をふさいでいた、闇の中に捨ててきた跫音(あしおと)は完全に消されている、誰も知ろうはずはないのだ、けれど待て、三人のほかに秘密を知った者はほんとうにいないのだろうか、あるような気がされてならない、どうしてもまだ他(ほか)に何者かが一人知っていると思う。
それは誰だろうと範宴はさっきから考えるのだ。
するとそれはやはり自分の中にいるものだということが分かった。
(自分は二つの人間になっている)と気がついたのである。
相反している二つのものが、範宴という一個の若い肉体をかりて、心のうちで、血液のうちで、すさまじく闘っているのがわかる。
そして肉体の主(ぬし)は沈湎(ちんめん)として終日(ひねもす)、白磁の牡丹にうつつな眸を消耗したまま蒼白(あおじろ)い秘密の夢をみているのだった。