「姫をつれて、どうか帰ってください」
自分を石の如くして、範宴はそういうよりほかなかった。
頼むよりほかになかった。
充分に、自己の罪と責めはかんじながらもである。
しかし万野は、姫をうしろに置いて、容易にそれに従おうとはしなかった。
「きっとそう仰っしゃることと前から存じてはおりました。けれど、姫さまのお可憐(いじ)らしいお覚悟をどういたしましょう。姫さまはもう心の底に、黙って、死をも誓っていらっしゃいます、あなたのおことばは、そのお方に死ねと仰っしゃるのも同じでございまする」
範宴には、一語も返すことばがなかった。
それまでに心がすわっているものかと今さら女性(にょしょう)の一途な心の構えに驚きを覚えると共に、自分のなしたことに対する責めの重さを感じるばかりだった。
「この御(み)山(やま)が、伝教大師のご開山以来、六里四方、女人禁制ということも、よう存じておりまする。けれど釈尊(しゃくそん)は、目連(もくれん)尊者の女弟子の蓮華(ウッタラ)色(バルナ)と申す比丘尼(びくに)に、おまえこそ真の仏道を歩んだものだと仰っしゃったという話があるではございませぬか、法華(ほけ)経(きょう)には女人は非器なりとございますが、女には御(み)仏(ほとけ)にすがる恵みはないのでしょうか。そんなことはあるまいと思います。女でも人であるからには」
と、万野は情と理をもって迫るのだった。
そして姫にもここへ来て頑(かたくな)な範宴の心をうごかせとすすめるように姫の方を見たが、姫は地へ泣き伏しているのみである。
「わかります、そのとおりに違いないのです。けれど――」
範宴は膝を折って万野と姫の二人へいうのだった。
いつの間にか全霊を打ちこめていた自分の声に気がつく。
それは死ぬか生きるかのような必死なものであった。
「よく落着いて聞いてください、この御山は仏法の道場なのです、一箇の解釈で法規をやぶることはできません、それを矛盾といいましょうが、伝教以来の先人が定めおかれた大法であって、この後、何人(なんびと)かが、それは間違っているという真理をつかみ、その真理を大衆に認めさせない限りはどうにもならない掟(おきて)です。
それをも押して、姫と共に山へ上るとしましょうか、いたずらに一山を騒擾(そうじょう)に墜(おと)し、世の罵(ののし)りと物笑いをうけるに過ぎず、私はともあれ、姫のおん身は、ただ淫(みだ)らな一女性(にょしょう)のはした(ヽヽヽ)ない行為としかいわれますまい。さらに、お父君は元より、青蓮院の僧正、一族の方々のお困りも必然です。
それもこれも皆この範宴が罪とおもえばこそ、私は死以上の決意をもって罪の償いに、この山へ参ったのです、どうか私にそれをさせてください、無限の暗黒へ落ちてゆくか、大願を貫かれるか、この一身を人間億生(おくしょう)のために捧げてしまいたいのです。姫おひとりに捧げきれない私となっているのです。それを無情と呼ばば呼べです。玉(たま)日(ひ)様、お帰りなさい、さらばです」
この人にこんな厳しいものがあったのか、こんな冷たい声も持っていたのか、霜のような、巌(いわ)のような、何という人間味のない宣告だろう、万野は泪(なみだ)も出なくなった。
※「目連尊者(もくれんそんじゃ)」=釈尊十大弟子の一人、目けん連のこと。神通第一と称された人物で、餓鬼道に苦しむ母を救うために僧に供養したと伝え、これが盂蘭盆会の起源といわれる。
※「非器(ひき)」=その器(うつわ)でないこと。その事をなすだけの力量のないこと。