豊前学派は、「行巻」標挙の「諸仏称名」と大行出体の「称無碍光如来名」の二つを通して大行の本質を見ようとします。
このため、称名に二つの性格を認め、正定業となるべき称名と、報恩としかなりえりない称名の二種を見出します。
そして「行巻」の称名は、正定業となるべき称名だと定めます。
この点は、豊前学派の説を高く評価できるところです。
ただし、この学説は正定業となるべき称名と、そうでない称名の関係に論理の飛躍があり、その両者が安易に能所不二と語られてしまうところに、先の二学説と同様の欠点を有しているといわざるを得ません。
その本質は、やはり第十七願と第十八願の相即を語り、第十七願と第十八願の念仏者を同一人として語っているところにあると言えます。
それ故に、称名に二種の性格があることを認めながら、他の一方の称名を「報恩となる称名」としてしかとらえ得なかったように窺えます。
けれども、もし称名に正定業の意を見るのであれば、その称名が第十七願と第十八願でどのように関係するかを見るべきであったと思われます。
そうすると、第十七願は諸仏が未信の者に名号の真実を聞かしめる称名となり、第十八願は未信の者が諸仏より名号の真実を聞かされる称名となるはずです。
第十七願の行は本来、「南無阿弥陀仏」が諸仏によって讃嘆されるという意ですが、それは同時に未信の衆生への説法になります。
したがって獲信者が阿弥陀仏を讃嘆し、未信の者にその名号の真実を説法する場もまた、第十七願になるのです。
このようにみれば、獲信者の称名は、みずからの讃嘆の場から見れば、それは報恩行となりながら、未信の衆生に向っては正定業の称名となっているのです。
ところが、豊前学派ではこの点を明らかにすることができなかったのです。
こうして、「所具をもって能具になづける」とか、あるいは第十八願の「乃至十念」を「教位と機位」に分けるような論が生じたのだと思われます。
そうすると、豊前学派がわたしたちに提起している問題は、大行とみられる「諸仏の称名」とは何かということになります。
大江氏の説の特徴は、「大行」の受け取り方にあります。
大江氏は、衆生の称名が大行といい得るか否かは、それが真実信を通すか否かによるとされます。
したがって、名号と相即する称名を大行とされることから、大行の体は名号でなければならないとされます。
しかも大行が称名として出されるのは、名号が固然たるものに止まらず、常に衆生の称名となるためだと結ばれます。
このため、衆生の称名をまって大行というのではなく、称名に関係なく名号を大行と定められます。
さて、名号が固然たるものに止まらず、常に私たちの信となり称となるという理論は、私たちにも容易に理解することができます。
また、それ故に、私の信となり称とになる以前に大行は存在するという説も、当然の理として受け入れることはできます。
しかし、ここで疑問が生じます。
では、その名号とはいったい何かということです。
私の信となり称となりうる、その接点にある名号とはいったい何なのでしょうか。
名号が信となり称となるということは、道理として理解できなくはありませんが、具体的に実践の場において、それは何かを究極的に問い続けるとするならば、このような名号はまさしく、観念の所産とならざるを得ないのではないでしょうか。
そうすると、固然として止まることのないはずの名号が、そこでは逆に画餅として止まってしまうことになると思われます。
さらに、名号と相即する称名とは、私たちにとってどのような称名なのでしょうか。
それは、「信を具する称名」だといわれます。
では、その信は何によって起こされるのでしょうか。
言うまでもなく名号大行によって起こされます。
つまり、名号が私をして信ぜしめ行ぜしめるのです。
そのため、大行は信以前に動くとされながら、結果は逆に、信以後にしか大行の用は生じないということになってしまうのです。
もし名号大行論を取るとすれば、衆生の称と不称に関係なく、それが大行でなくてはなりませんし、同時に信と不信とにも関係なく、法体それ自体の性格として、名号が大行とならなくてはなりません。
では、その名号とは何でしょうか。
これを観念に止めないとするなら、もはや名号のみでは論は成立しいなのであって、そこに「称名」という大行のもう一方の面を加えざるを得ません。
そこでは、衆生に明確に知りえる、自力の称名を破る、大行としての称名がここに導き出されなくてはならないのです。
なお、宗学の常識として「出体釈」および「称名破満釈」の解釈に、『論註』の讃嘆門の釈との関係が論じられます。
けれども、このような見方は方法論的には誤っていると思われます。
両者の思想は全く次元を異にするものだからで、原典に即して読む限り、『論註』の称名は「行巻」の称名の意ではなく、「行巻」の称名もまた『論註』の称名の意ではありません。
親鸞聖人がこの『論註』の思想を必要とされるのは「信巻」においてだとすれば、それまで両者の関係は伏せておくのが至当だと思われます。
にもかかわらず、『論註』の思想がこうだからといって、親鸞聖人の思想もこうでなくてはならいとしてしまえば、親鸞聖人の思想の独自性を消し去ってしまうことになりかねません。
桐渓氏の説は、一つの独創的な見解だと思われます。
桐渓氏は、名号の動く相は本来的に衆生にはわかりえないとし、同様に諸仏のとなえる称名もまた、私たちにとっては具体的に触れ得ないものだとされます。
けれども、現実において私たちは経典を読んだり聞いたりします。
この経典をもし釈尊の言葉だと受けとれば、私たちはここで意仏の声を聞きうることになります。
それは、称名においてもその通りだといわなくてはなりません。
そうすると、いま他人が称えている称名、それを聞くことがそのまま諸仏の称名を聞くことの意になるのではないでしょうか。
これをさらに深く理解すれば、自身の口から出ずる称名が、そのまま諸仏の讃嘆だと受け取りうることになります。
このようにみれば、「仏の名号」あるいは「諸仏の称名」は、私たちにとって具体的に接しうるものとなります。
私が称名する、そこに名号の動く相があり、諸仏の称名があると理解することが出来るからです。
けれども、桐渓氏もまた、第十七願と第十八願の場を明確は分離しておられません。
称名を聞名として受けられのですが、ではその聞とは何でしょうか。
聞は信を意味するといわれることから、聞即信の意で受け取ってよいのではないかと思われます。
すなわち、私の称えている称名が、そのまま如来のよび声だと信じることで、如来の名号と私の称名が不二一体となり、名即称としての融合の理念が成立します。
では、このように信じることができない場合はどうなのでしょうか。
未信の者にとっては、先の論は成立しません。
名号と称名とは遊離し合い、自力の称名からは大行性が消えてしまいます。
この未信の者に、具体的に真実の称名を聞かせるためには、ここに諸仏(獲信者)の具体的な、名号についての説法がどうしても必要となるのです。
そうでなければ、ここでもやはり私の信が仏意を左右することになり、空華批判が、そのまま繰り返されることになるといわなくてはなりません。
けれども、この説において、諸仏の称名と獲信者の称名が、同一の場におかれたことは、法体の名号といい諸仏の称名といっても、私たちの現実界においては、結局、衆生の称名をはなれては存在しないことが明確にされたといえます。
では、親鸞聖人の思想において、これら「衆生の称名」と「法体名号」、それに「諸仏の称名」はどのような関係において成り立っているのでしょうか。