麓(ふもと)の白川口には、一輛(りょう)の輦(くるま)が待っていた。
二人の稚子(ちご)と牛飼の男が、そばの草(くさ)叢(むら)に腰をすえて、さびしげに雲を見ている。
そこは、志賀山越えと大(お)原道(はらみち)との岐(わか)れ目であった。
一面の琵琶(びわ)を背に負い、杖をついてとぼとぼと志賀の峠から下りてくる法師があった。
足もとの様子で盲人と見たので、草の中から稚子(ちご)が、
「琵琶法師さん、輦(くるま)があるよ」と、気をつけてやる。
盲の法師は杖をとめて、
「ありがとう」背を伸ばし、空を仰いで、
「どなたのお輦ですか」
「聖光院の御門跡さまが、山をお下りになるんです」
「あ!……。範宴どのが、山を離れられるとか」
「御門跡さまをご存じですか」
「月(つきの)輪(わ)公の夜宴でお目にかかったことがあります。そうですか、やはり、離山なされることになったか。そうなくてはならないことでしょう。
……範宴少(しょう)僧(そう)都(ず)の君をことほぐために、一曲奏(かな)でたい気持さえ起るが、ここは路傍、やがての事にいたしましょう。私は、峰(みね)阿(あ)弥(み)と申すものです。どうぞ、よそながらこうとお伝え置きねがいまする」
独りで喋(しゃべ)って、独りでうなずきながら、旅の琵琶法師は、落(おち)陽(び)のさしている風の中を、大(お)原道(はらみち)のほうへとぼとぼと歩み去った。
「なんじゃ、あの法師めは、盲というものは口(くち)賢(がしこ)いことをいうから嫌いだ」
牛飼の男が、つぶやいた時、戯(たわむ)れ合っていた稚子(ちご)たちが、
「あ、お見えじゃ」と立ち上った。
雲母(きらら)坂(ざか)を越えて斜めに降りてくる範宴の姿や、その他の迎えの人々が見え初めたのである。
輦(くるま)の簾(れん)をあげて、牛飼は轍(わだち)の位置を向きかえた。
(範宴離山)の噂は、半日の間に、叡山(えいざん)にひろがっていた。
ひそかに、彼へ私淑している人々だの、彼の身を気づかっていた先輩だの、また、一部の学徒の人々だのが、真っ黒なほど範宴のうしろに列を作っていた。
その人々へ対(むか)って、慇懃に、別辞の礼を施(ほどこ)してから、範宴は、輦の中へ移った。
彼の胸には、この時すでに、十歳の春から二十九歳のきょうまで、生れながらの家のように、また、血みどろな修行の壇(だん)としてきた、叡山に対して、永遠の訣別(けつべつ)を告げていたのであったが、送る人々は、なにも気づかなかった。
「範宴御房、おすこやかに」
「またのお移りを待つぞ」
などといった。
輦(くるま)がゆるぎだすと、白河の上にも、如(にょ)意(い)ヶ岳(たけ)のすそにも、白い霧のながれは厚ぼったく揺らいでいた。
そして、どこからともなく、淙々(そうそう)と四(し)絃(げん)を打つ撥(ばち)の音(ね)がきこえてきた。
「お、琵琶の音がする。……加古川の法師は?……」
輦のうちで眼をふさぎながら、範宴は、玉(たま)日(ひ)姫(ひめ)のすがたを、おぼろ夜の白い桜(はな)を思いうかべていた。