どんな日もかけがえのない一日(前期)

先月、伯父の葬儀にお参りしました。

病気を患い入院をしていた伯父でした。

手術が成功し、退院まであと数日というところで、容態が悪くなり往生いたしました。

入院中には、“死にたくない、生きたい”と口にしていたそうです。

退院したら会えるとばかり思っていたので、非常に驚きと寂しい気持ちになりました。

伯父との別れは、人生は無常であることを感じさせられたことでした。

本願寺8代宗主の蓮如上人がお書きになった「御文章」のひとつに「白骨章」というものがあります。

葬儀などで聞かれることも多い御文章ですが、その一文に

「われや先ひとや先、今日ともしらず明日ともしらず。」

とあります。

いつなにが起こるか分からないのが私たちの“いのち”の現実であります。

しかし、その現実を受け止めて一日一日を生きているかと考えてみると、そうではないような気もいたします。

今できることを次に伸ばして、また明日があるからとか、ついでの時でいいやなんて過ごすこともよくあります。

限りのある人生であり、先のことは分からないのが私であったと受け止めると一日一日、一瞬一瞬が“かけがえのないもの”であると気づかされます。

かけがえないとは、無くなると他にかわるものがない、この上なく大切なものであります。

かけかえのない毎日、かけがえのない出来事、かけがえのない出会い、かけがえのないひと、かけがえのないわたし・・・と思うと、人生の送り方が変わっていくことです。