どんな日もかけがえのない一日(後期)

今年も残り少なくなってきました。

先月、あるお宅でご法事をお勤めした時、ご家族の方がしみじみと

「人が亡くなってからの時間は、早くたつものですね。アッという間でした」

と言われました。

以前読んだ本の中には、

「今、人は長く生きるようになった。90年、100年生きることも珍しくはなくなった。だが、生きている人間の実感がアッという間というのであれば、人生の時間はアッという間なのだ」

という一節がありました。

うかうかしていると、またたく間に月日は流れていきます。

今日と同じように、明日もくるという保証はどこにもなく、私たちに与えられた時間は実のところ「今、この時」だけなのです。

そう思えば、今生きているこの一日はまさに「かけかけえのない」ものなのですが、なかなかそのようには受け止められないのが私たちなのではないでしょうか。

電車の窓の外は

光にみち

喜びにみち

いきいきといきづいている

この世ともうお別れかと思うと

見なれた景色が

急に新鮮に見えてきた

『電車の窓の外は』

この詩は、詩人の高見順が56歳で食道ガンと診断された時に書いたものです。

いのちに限りがあることも思い知らされて初めて、生きていることのかけがえのなさや自分を取り巻くものの素晴らしさに目を開かれた心境が描かれています。

今まで何気なく見ていたもの、あたりまえだと思っていたことが、こんなにも感動に満ちたものだったとは、と。

心の目が開いた瞬間といえるでしょう。

私たちは、ともすれば自分の都合で「いい日」「悪い日」などと、勝手に仕分けがちです。

とかし、いついのちを終えても不思議でない私たちが、さまざまな「おかげ」に支えられて、今日一日を行かされていることに気付けば、「いい日」「わるい日」もなく、すべてが「かけがえのない日」として感謝の思いで受け止めることができるのではないでしょうか。