安楽浄土(あんらくじょうど)にいたるひと 五濁悪世(ごじょくあくせ)にかへりては
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のごとくにて 利益衆生(りやくしゅじょう)はきはもなし
親鸞聖人(しんらんしょうにん)がお書きくださったご和讃(わさん)には、
阿弥陀仏(あみだぶつ)のおはたらきによって浄土(じょうど)へ参られた方は、すぐさま私たちのくらす、この世界にかえってきて、2600年ほど前のインドで、「阿弥陀仏という有難い仏さまがいらっしゃるんだよ」と人々にご教化された、あの、お釈迦(しゃか)さまのように、私たちを教え導いてくださっているのだとお示しになられます。
また、ご和讃には
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)をとなふれば 十方無量(じつぽうむりょう)の諸仏(しょぶつ)は
百重千重囲繞(ひゃくじゅうせんじゅういにょう)して よろこびまもりたまふなり
と、その方々は、私たちが「南無阿弥陀仏」とお念仏(ねんぶつ)を称えて、阿弥陀仏と一緒に生きている姿を、大変喜ばれ、おまもりくださるのだともおっしゃいます。
このような話を聞かせていただきました。
あるお葬式のことです。その葬儀をお勤めされたのは、かなりご高齢の浄土真宗のお坊さんでありました。そのお坊さんはご法話が始まるとすぐに、喪主の方を呼び、「おまえさん、おまえさん、親孝行したか?」と尋ねられました。
喪主の方は、亡くなられた方の長男で、実家のある鹿児島を離れて東京に家を建て暮らしておられ、普段から実家に戻ることが少なかったようです。この度も「お父さん亡くなったよ」という電話受けて、飛んで帰ってきたとのことでした。
そんな事情があったからでしょうか。お坊さんからの「親孝行したか?」のお尋ねに、がっくり肩を落とされました。その項垂(うなだ)れる長男に向かってお坊さんは優しい口調で語りかけるように話を続けられます。
「親孝行はな、まだ間に合うぞ。先立ったお父さんは、お浄土へ参られて仏さまになったんだ。あんたお念仏称えたことあるか。これからは南無阿弥陀仏とお念仏を称えながら生きていきなさいよ。その姿をお浄土のお父さんは、一番喜んでいるからな。親孝行はまだ間に合うから、これからしていきなさいよ。」と。
親孝行はまだ間に合う。有難いご法話だなと聞かせていただきました。
一足先に浄土へ参られた方は、すぐさま浄土からかえってきて、私たちに寄り添い、「阿弥陀仏に出会ってくれ」と願いをかけてくださっていらっしゃいます。
その願いを、残された私たちが、ちゃんといただいて、南無阿弥陀仏とお念仏を称えながら、阿弥陀仏と一緒にお浄土への人生を歩むこと。これが、浄土真宗における一番の供養であるといただいています。