鹿児島城下町物語(上旬)西郷という男はお国の宝だ

ご講師:福田賢治さん(維新ふるさと館特別顧問)

維新ふるさと館ができて、今年(平成26年)で20周年を迎えます。

私はその20年間のうち、13年を維新ふるさと館で過ごして参りましたが、芸能人から政治家まであらゆる方々が来られました。

平成18年には秋篠宮殿下がおいでになられたこともあります。

歴史に携わっていると分かるんですが、偉人といわれる人たちは、ほとんどの人が生死の境をさまようような大変な苦労をしています。

同時に、その人生の中で素晴らしい師や先生、あるいは自分の人生を変えるような人との出会いを経験していることが見受けられます。

例えば、代表的なのは西郷隆盛です。

西郷という人物は、もし島津斉彬公がいなければこの世に出ることはなかったでしょう。

人生において、人との出会いが重要な意味を持つのは間違いありません。

島津斉彬公は、なぜ西郷さんを登用したのでしょうか。

これについて斉彬公は

「西郷という男は、悪とか権力というものを絶対に恐れない。そして、自分に不利であっても真実を曲げない、そういう正直な男だ。だから信頼できる。さらに私利私欲がない。自分の独立心が非常に強く、その上に自分の考え・主張を曲げない男だ」

と述べており、また

「上の者からすると、これほど扱いにくい人間はいない。金や出世をえさにして都合よく動かすことができない。だからこそ、こういう男はお国の宝だ」

と評価しています。

その後、斉彬公は50歳で亡くなります。

そのとき西郷さんは殉死しようとするんですが、清水寺成就院の住職・月照和尚に諭されて思い止まります。

そして安政の大獄が起こり、西郷さんは江戸で追われる身となりました。

それで月照和尚を連れて鹿児島に帰るんですが、そこでも幕府からの追求を恐れた当時の薩摩藩らより永送(ながおく)りという一種の処刑を言い渡されてしまいます。

それで、西郷さんは月照和尚を連れて鹿児島の錦江湾に「もうこれまで」と言って入水をするわけです。

結局、月照和尚だけが亡くなり、西郷さんは息を吹き返しました。

そして、死んだものと扱われて、奄美大島に身を隠すことになったんです。

その後、島津久光公が兵を引き連れて、京都の中央政界に進出するときに呼び戻されたんですが、京都の倒幕過激派を押さえるために下関での待機命令を破って、京都まで行ってしまったんです。

しかも、久光公には過激派を煽っているという誤った報告が届いてしまい、激怒した久光公により、山川、徳之島を経て、沖永良部島に流され、牢に入れられてしまいました。

しかし、その牢の中でも、政治や自分の在り方、生き方を振り返り、自分自身の修養に励んだんです。

西郷さんは、そういう人でした。

そして、

「どんな敵地であっても自分が行く。そして誠意をもって話をすれば、必ず相手も誠意をもって応えてくれる。それで、相手が自分を殺したならば、それは自分に説得力がなく、自分の誠意が足りなかったということだ。すなわち天命である」

と、西郷さんはこのような考えたの持ち主でした。

そこに、権力への欲は見られません。