風ではない――ほとほと戸を打つ者がある。
今ここを訪れる者は絶対ないはずであるがと思いながら、
「生信房」と、善信は呼んでみた。
もう夜更けであった。
答えがないところを見ると、生信房も眠っているらしい。
玉日も嬰児(やや)を寝かしつけている。
「――どなたでおざるの」
善信は自身で立って行った。
戸の外では、
「わたくしです」と誰かいう。
何気なく、草庵の戸をあけて、善信はびっくりした。
「おお弟(おとと)っ……」
「兄上……」
「どうして此庵(ここ)へは……。まあ上がれ」
手を取って一室へ。
坐ると、もう兄弟(ふたり)は、胸がいっぱいだった。
同じ都の、すぐ目と鼻の先にいながら、二人の会う折は極めて稀れだった。
会うごとに、何から話し出してよいかと思い惑うほどに……
「近いうちに、越後へお立ちなされますそうな」
「む。――十六日というお沙汰じゃ」
「十六日。……ではもう間近に」
「されば、お汝(こと)とも、これがお別れじゃ。ひたすら、修行をされい」
「はい」
「お汝の師、慈円僧正は、わしにとっても、幼少からの恩師。思えば、お手をとって童蒙(どうもう)のお導きをして賜うたころから今日まで、憂いご心配のみかけて、その後のご報恩とては何一つしていなかった。……この兄の分も共々に尽してたもるようにの」
「きっと、励みまする。そして今のおことば忘れませぬ。……けれど、遠流の日が、十六日ということでは、兄上には、もう慈円僧正にお会いあそばす折も」
「むずかしかろうの。……吉水の上人にも、一目お会い申しとうて、月輪の老公におねがいしてあるが、どうやら官のおゆるしはならぬらしい。……しかし弟、この善信は遠国へ流さるるとても、決して、悲しんでたもるまい。念仏弘世(ぐせ)のため、衆生との結縁(けちえん)のため、御仏の告命(こくみょう)によって、わしは立つのだ。教化(きょうげ)の旅立ちと思うてよい」
「お心のうち、そうあろうかと、尋有も考えておりまする」
「重ねていうが、お汝はまだ若年、都にあっても、くれぐれ勉強してあれよ」
「はい、その儀は、お案じ下さいますな。いささか平常の修行を認められまして、私も、近いうちには、叡山の東谷善法院へ下されて一院を住持する身となりました」
「ほう……叡山の東谷へ移られるか。奇しき縁じゃ。兄は、叡山の大衆より、法魔仏敵のそしりをうけて追われてゆくに」
「善信の血縁の者とあって、反対もあったようにござりますが、師の慈円様のお計らいで」
「よいことだ、そういう中にやって、そちの人間を作ってやろうという師の房のお心にちがいない」
「戦います、百難と」
「兄は、他力門の弘通(ぐずう)に北国へ。――弟のお身は、自力聖道門の山へ。こう二つの道は、西と東ほど違うようだが、辿り登れば、同じ弥陀の膝なのじゃ。……弥陀のお膝でまた会おうの」
奥で――その時、なにをむずがり出したか、嬰児(やや)の房丸が泣きぬいていた。
尋有はふと、そこから洩れる甘い母乳(ちち)の香に、自分の幼いころを思いだした。
「――十六日のお時刻は」
「卯の刻に出立する」
「その朝の鐘は、尋有が撞きます。
青蓮院の卯の刻の鐘が鳴りましたら、弟が、見えぬ所から見送っていると思うて下さいませ」といって、尋有はやがて、初更(しょこう)のころ、山づたいに忍んで帰って行った。
*「童蒙(どうもう)」=幼少で道理にくらいもの。子供。無知なもの。