ゆうべは、小松谷の小御堂には夜もすがら念仏の声が揚がっていた、念仏をおくびにいっても、厳科に処すという禁令が出て以来、官の取締り方も民衆の自戒も、針のような神経質になっている折なのに。
十六日の暁方(あけがた)は、刻々と、小御堂をつつむ暗い樹々の風と、白い星のまたたきに、近づきつつあった。
法然は、宵のうちに、わずかの間を眠っただけで、まだ初更(しょこう)の鐘も鳴らないうちから起きていた。
そして起きているまは、一秒一瞬のあいだも、念仏を怠らないのである。
(今朝はおわかれぞ――)と、庵(いおり)のうちには、いっぱいな人が詰めていた。
俗の人、沙門の人、官途にある人、遠国から馳せつけた人々など、雑多に宿直(とのい)していた。
その人たちは、時折、上人の居間から念仏が洩れるので、
「垣の外へ聞えては」と、他聞を惧(おそ)れて、開いている妻戸やふすまも閉(た)て籠め、
「……もちっと、お低い声音(こわね)で仰っしゃって下さればよいが」
と、ささやいた。
恟々(きょうきょう)として、官を恐れる気持が、このごろの日常であった。
――たった一声、南無とつぶやいただけで、牢獄へ打(ぶ)ちこまれたり、河原へひきすえられて、鞭で打ちすえられている老人などを、毎日のように目撃しているのである。
柴垣の外には、それでなくとも、絶えず獄人を見る眼で、牛頭馬頭(ごずめず)のように、槍をひっさげている官の小者たちがここを警戒していて、時折、中へずかずか入ってきて覗きこんだり、つまらぬことを取り上げて威張り散らしたりしているのだった。
「――あまり官を憚(はばか)らぬようにある。上人が、きょうぞ名残と、一念御唱名なさるお気持はわかるが、つい、禁令をおわすれになって、お唇(くち)から高く出てしまうのであろう。誰か、ちょっと、ご注意申しあげてはどうか」
と、いう者があった。
「さ……」
誰も、顔を見あわせて、上人へそれをいいに行く者はなかった。
すると、やはり流罪を命じられて、今朝、上人と共に、配所へ護送される善恵房(ぜんえぼう)が、
「では、てまえが」
と起った。
「オオ、善恵房どのからなれば、上人も、お気にかけられまい。月輪の老公のご奔走で、なにかと、護送のことまでも、ご寛大になってきたところ――ここでまた、法令にたてつくようなことが官へ聞えては上人のお不為(ふため)になるで」
「それとなくご注意申しあげて来ます」
善恵房が、上人の前へ出て、畏る畏る一同が案じているよしを述べると、上人は、もってのほか機嫌を損じたらしく、厳(いかめ)しく、膝を革(あらた)めてこういった。
「たとえこの法然房が舌を抜かれ身を八ツ裂きの刑にせんと御命あっても、わしは念仏勤行を止めることはいたさぬ。よし新羅百済の海の果てへ流さるるも、死を賜うも、大聖(だいしょう)釈尊をはじめ無量諸菩薩が、われら凡愚煩悩の大衆生のために、光と、証(あかし)とを、ここにぞと立て置かれたもうた念仏の一行であるものを。
――何ぞや、権力、詐謀(さぼう)、威嚇、さようなものでこれを阻め、その不滅の大御文章(だいごもんじょう)を、人類のうちから抹殺することなどできようか。わろうべき人間の天に向ってする唾でしかない。
――そちたちも、夢、法然が信をさまたげ給うな」