親鸞・氷雪編 2016年1月16日

夜はまだ明けない――ほの明るいのは桜並木だ。

咲いている花のうえには残月があった。

「いそいで――」

と、月輪の館から、老公をのせて、ぐわらぐわらと曳き出した牛車(くるま)のうしは、手綱に泡をふいて、小松谷の法勝寺御堂へ駈けつけてゆく。

「待てっ」

「どこへ行く」

小御堂の近くへ来ると、小具足を纏(まと)った武者たちが、牛車のまえに立ちふさがって咎(とが)めた。

「――通ること相ならん。官符(かんぷ)を持ちおるかっ」

老公は牛車の裡(うち)から、

「誰の御人数であるか」

と、たずねた。

武者の一人が、

「領送使(りょうそうし)清原武次(きよはらのたけつぐ)が手の者と、奉行周防判官(ぶぎょうすおうのほうがん)元国が家臣」という。

老公は、うなずいて、

「ご両所を、ここへ召されい。儂(み)は、月輪禅閤でおざる」

「や、月輪の御老公におわすか」

驚いて、武者が走ってゆく。法勝寺の別院に屯(たむろ)していた領送使の清原武次は、すぐ老公を迎えて、仮屋の一室へ迎えた。

「このたびの役目、ご大儀である」

と、老公は、一応の挨拶をした後、

「火急、未明のうちに参ったのは余の儀でもおざらぬ。上人がこのたび下向(げこう)の命を沙汰された土佐国は、御老躯に対し、あまりにご不便。で――儂が所領する讃岐国(さぬきのくに)小松の庄へお預かり申したいと、実は、先ごろから朝廷へお願いいたしてあったところ、昨夜おそく、評定所において、願いの儀ゆるすとの御決定がござった。――それゆえ今暁の土佐下向は、讃岐へ変更と相成るによって、篤おふくみくださるように」

武次は驚いた。

「はっ、承知仕りました」

とはいったものの、(そういう寛大な変更がどうしてあったか?)と、疑問を挟まざるを得ない。

老公が、そこを去って、小御堂のほうへ足を運ばれてゆくのを送ってから、すぐ奉行の周防元国と相談して、(讃岐中郡(なかごおり)へ、変更の儀は、実(まこと)か訛伝(かでん)か)と、官へ急使をやって、問あわせた。

それと入れちがって、評定所から、騎馬の使者が飛んできた。

にわかに、上人の配所先が、変更されたのは事実だった。

うっすらと、そのころ、朝の薄浅黄いろの空が、花の梢明るみ初めていて、そこらの篝火(かがり)は、燃えつきている――

寅の刻。

まさに定めの時刻だった。

法然上人は、静かに、法衣(ころも)を脱いで、俗服の粗末な直垂衣(ひたたれ)に着かえていた。

十幾歳のころから今日まで、およそ六十年のあいだ、一日とて、脱いだことのない法衣を官へ返して、名も、今朝からは俗名の藤井元彦と呼ばれることになったのである。

白い髪が、綿のように伸び、顎(あぎと)にも、伸びた髯が光ってみえる。

それへ、梨子地の烏帽子をかむり、領送使のすすめる輿のうえに身をまかせた。

輿へ移る前、「月輪どの」と、法然は、自分を取り囲んで今朝を「見送る人々のうちに、老公のすがたを探していた。

*「領送使(りょうそうし)」=流刑の罪人を配所に護送する使いの役人。