新しい年も始まりあっと言う間に3月に入りました。
今年の正月は子どもたちが妻の実家に帰っていたので母と二人静かな正月を迎えました。
子ども達が帰ったあと慌てて年賀状を作り、なんとか12月31日に投函したことです。
そして正月を迎えました。
普段は子どもたちが走り回って賑やかな家の中です。
しかし母と二人だけの家の中はいっそう静かに感じられたことです。
正月を迎えると、いろいろな方々から年賀状が届きます。
内容も様々で、結婚しました・子どもが誕生しました等々です。
年賀状を見ている中で毎年、年賀状を送って下さる方からの年賀状が届いていないことに気づきました。
体調でも悪いのかなあ心配しておりましたら、1月の中頃に1枚の寒中見舞いのはがきが届きました。
それはその方の息子さんからのものでした。
「母は昨年の11月に亡くなりました。これまで色々とお世話になりありがとうございました」
という旨のはがきでした。
その方は、大変活動的で元気な方で、研修会等でお会いしますといつも笑顔で挨拶していただいたことを思い出すことでした。
お亡くなりになられたことを全く知らなかったので、そのハガキが届いてその事実を知り、びっくりすると同時に無常の厳しさをあらためて知らされたことです。
この方のように、新しい年を迎えたくても迎える事の出来なかった多くの方々がおられます。
もっというと今日の朝、目を覚ますことのできなかった方々もたくさんおられるのです。
このことをしっかりといただいていくときに、今、生きているということは、けっして当たり前ではない。
「有ること難し」。
有り難いいのちをいただいいて生かされているということを改めて感じることです。
寒中見舞いのその1枚のハガキを受け取る中に、それは単なる訃報ではなく、私に対する
「いつどこでどうなってもおかしくないいのちを生きているのですよ。そのことをしっかりといただいて今、その瞬間を大切に生きて下さい」
とのメッセージとして受け止め、改めて身を引き締め日々の日暮しを送らせていただかなければと思ったことでした。