石念(じゃくねん)は眠ると歯ぎしりをする癖がある、よく定相(じょうそう)や念名(ねんみょう)などに注意されるが癒(なお)らない。
もう隣の室の西仏(さいぶつ)も教順も眠っていた。
奥の師の房の室もしいんとして暗い。
生信房ひとりは、常に、寝る間もその師のそばを離れないのが彼の勤めであって、師のやすんでいる部屋の垂薦(たれごも)のすぐ外に、ごろりと、薄い衾(ふすま)をかぶって寝ている――
この配所の一棟は、雨の日は雨こそ洩るげ、風の日は風にこそがたがた揺れるが――実に幸福そうな寝息を夜ごとにつつんでいる。
今は、ことに幸福らしかった。
ほのかな月が、破れ廂から映(さ)しこんでくる。
裏の菜種畑の花から、甘いにおいもしのび込む――
「むむむ……」
昼間は托鉢のために、何里となく歩くので、石念だの定相だの、若い者は寝相がわるい。
しきりと、あばれるのである。
石念はまた、歯ぎしりをかむ。
「これ」ふと、そばに寝ていた定相が、石念の肩を突ッついた。
「風邪をひくぞ、夜具の外にまろび出しているじゃないか」
「あ……ありがと」
眼をさまして、石念は、間がわるそうに夜具を担ぎ直したが、
「――おや」
首をもたげて、
「定相」
「なんじゃ」
「外がいやに明るいじゃないか」
「月の光だろう。この冬の雪で、すっかり廂も雨戸も壊れてしまったから、月の夜は、家の中まで明るい」
「まあ、起きてみい。月明かりではない、赤いぞ」
「赤い?
」定相も、むっくり身を起して、
「……あっ、火事じゃ」
「そうだ」
「どこだろう」
二人は出て行った。
ガタガタと建て付けのわるい雨戸を繰り開ける音がする。
そこから立って見まわすと、ちょうど西のほうに当る空がいちめんに赤く、チラチラと、金の屑を噴くように火の粉が夜空にうごいていた。
「ほんに……。町とすれば、いつもわしらの托鉢に行く家が軒並に焼けているのではあるまいか」
「皆も、起そう」
師の眠りはさまたげたくないが、西仏や教順には告げようと思った。
すぐ人々は起きそろって来た。
「懇意の衆が多いから、わしはちょっと見舞ってくる」
気のはやいのは、西仏であった。
――また、炎を見ると、なにかうずうずと血管が唆(そその)かされるような眼をしているのは、生信房であった。
その二人は、いつのまにか、炎を目あてに、町のほうへ走って行ってしまった。
竹内から国府へ通じている丘の道へ来ると、炎は、眼のまえに見えた。
「あっ、代官の館だ」
「えっ、年景の」
生信房は、しばらくの間、立ちすくんで火災の美しさに見恍(みと)れていた。
――そして、いつであったか、ずっと以前に、代官の萩原年景のために、鞭で打たれ、馬に蹴られて、御名号を奪われかけたあの時のことをふと思いうかべ、(仏罰じゃ)ちょっと、小気味よい気がしたが、生信房は、すぐ自分のその気持を、自分で蔑(さげす)んだ。
「そうだ」
もう西仏はそばにいなかった。
――何を感じたか、彼もまた、まっしぐらに西仏の後から赤い空の下を走って行った。