代官が来たと聞くと、百姓たちは、垣の間や裏の方から、われ勝ちに逃げ散ってしまって、縁には、親鸞ただ一人取り残されていた。
表のほうで、その時、
「上人はご在宅か」
と、訪れが聞えていた。
供も連れていなかった、馬も曳いてきた様子がない、代官萩原年景は、藁草履一つの粗朴な身装(みなり)で、
「上人ご在宅なれば、お目にかかりたいと存じてうかがいました。当所の支配をなす萩原年景にござりまする」
と、まだ主(あるじ)の声もすがたも見えないうちから、年景は、荒れ果てた配所の破れ廂(やれびさし)へ向って、いんぎんに頭(こうべ)を下げている。
「はい」と、親鸞は立った。
ずっと出て――
「どなたで在(おわ)すか」
「お忘れにござりますか、年景です。折入って、ご拝顔を得とう存じて、参上いたしました」
「やれ、ようお越された、案内もいらぬ風ふき通すこの住居(すまい)、ささ、おあがりなされ」
「御免を」と、年景は身を屈(かが)めたまま屋根の下へ入ったが、この暑さに腐れている筵(むしろ)や、壁の穴や、屋根から洩る陽の光を見て、暗然と、そこへ坐ったまま、しばらく顔も上げ得なかった。
改めて、親鸞が、
「愚禿でござります」
あいさつすると、年景は、はっと後ろへ身を退いて、平伏した。
「ここへかく真昼中、参上できた面(おもて)でもござりませぬが、きょうは改めてのお詫び――また、あわせて年景が慚愧を吐いてのお願いの儀あって推参いたしました。なにとぞ、宏大なご仁慈を垂れ給って、お聞き届けを」
と、満身に汗を流しての言葉なのであった。
「なにか知らぬが、身にかなうほどのことなれば承ろう」
親鸞がいうと、
「今も、御覧ぜられたでござりましょう、上人のおすがたを見れば、親のごとく慕い、この年景のすがたを見れば、鬼かのように逃げてゆく領民どもを――。年景は、あれが淋しゅうなりました」
「ウム」
親鸞は初めて大きくうなずいた、なにか心にかなう時にする大きな眸をぱっと見ひらいて、
「おもとは、この親鸞に、何を求めに来られたか」
「はっ……」
年景は、わなわなと肩をふるわせ、双眼からは湯のような涙をこぼしていた。
「……何か?……さ、それがなにかは、分りませぬ。ただ、この身をお救い賜わるおん方は、上人おひとりこそと思いきわめ、この幾十日、日夜懊悩いたした末、恥をしのんで参ったのです。
なにをつつみましょう、私は七名の側女(そばめ)を置いておりました。
それを皆、あの火災の翌る日、それぞれの国元親もとへ帰しました。
また、山吹も仰せのように計らいました。
妻へは両手をついて、過去を詫び、この後も誓いあいました。
わが子たちへも、多年の父らしからぬ行いを謝しました。
領民には、来る年より、年貢を下げるつもりでおりまする。
側女の衣装や身のぜいたくに費やす金をもって、召使の功を賞し、貧しい民をうるおしたいを思い出しました。
――だが、まだ私の心は、それだけでは慰みません。
――上人、どうしたら過去の償いができましょうか。
それを教えていただきたいのです。」