農家の女房らしい女が、
「お上人様」
と、縁から奥をさしのぞいて、
「きょうは、死んだ嬰児(やや)の日でござりますで、供養に餅をすこしばかり拵(こしら)えましたで、召し上がってくださいませや」
「おう、鷺の森のご家内か」
奥で親鸞の声――
「かたじけない、おそれ入るが、親鸞は後で頂戴するほどに、仏前へお供えください」
その女房が、仏前に餅をささげて、ちいん――と小さい鉦(かね)をついていると、
「上人様、あまり草が伸びたで少しばかり、草を採らせてもらいますが」
と断って、村の男たちが三、四人来て、配所の家のまわりの夏草を刈り初めた。
一人はまた、いつ見ておいたのか、上人の居室に西陽(にしび)があたるので、そこへ?い垣を結って、糸(へちま)の苗を植えようかなどと話している。
親鸞は、縁へ出てきた。
一同のほうへ向って、彼は仏陀に礼拝するのと同じように、おごそかな礼儀を施して、
「みなの衆、ちと待ってくだされ、お心のほどは辱(かたじ)けないが、親鸞は勅勘の流人、この家は罪を慎む配所でござる。されば、冬は寒いがよく、夏は暑くてこそ、流人の糾明(きゅうめい)になりまする。
人なみに夏草を刈って、すずやかに朝夕を楽しんではなりませぬ。――朝命に反(そむ)きまする、どうぞ、さようなことはせずにおいてくだされい」
「なんの、お上人様は、あまりにご遠慮ぶかい、草ぐらい刈ったとて」
「いや、そうでない、よしお上(かみ)でお咎(とが)めなくとも、親鸞の心が苦しみます。――また、そもそも人間は、家の中に棲むものか、心のうちに棲むものか、それを思うて御覧(ごろう)ぜられい。親鸞は常に心のうちに住んでおるゆえ、心のうちの雑草は刈ろうと思うが、家のまわりの草などはどうでもよいのじゃ」
「ほほおもしろいことを仰っしゃる。心のうちに住むとは、どういうものでございますな」
「今もろうた餅がござる、皆して、おやつにあれを食べ、ここで一休みしたがよい。わしも食べながらそれを語ろう」
もうこの国も青葉の六月だった。
梅雨を越えると急に暑くなって、草も木も一日に何寸ずつ伸びるのかと思われる。
春――魔火の禍いにかかった国府の役所は、もう前の丘に、新しい壁と建物とを見せている。
再建築は、意外に早かった。
うわさに聞けば代官の萩原年景は、あれ以来、帯も解かず焼け跡に立った、大工や左官たちを督励し、またたくうちに先に役所のほうを建て直し、焼け失った書類を再調したり、領内の政治一新に心がけて、
(すこし、あのお代官、このごろ変だぞ)といわれるほど、以前とはまるで態度がちがってきたということであった。
「上人様、今日は、皆さま一人のこらず、托鉢でござりますか」
「そうと見える。皆いないようじゃ」
「さだめし、ご不自由でございましょうな、お一人では」
「なんの……不自由と考えたこともない。親鸞の心はいつも、自由無碍(むげ)でござるゆえな」
「そうじゃ、今の、人間は家のうちに住むのでなく、心のうちに住むものだというお話をうかがわせてくださいませ」
「おお、みんな寄れ」
と、彼が縁先へ人々をさし招いて、語り出そうとすると、一人がふいに逃げ腰になって、
「あっ、代官が来よった」
と、おどおどした眼で告げた。