親鸞 2016年4月22日

親鸞は黙然と眼をふさいで聞いていた。

初めのうれしげな面(おもて)のかがやきが次第に沈黙に変ってゆく――。

明らかに年景のことばが何か胸を重くふさいできたのである。

「ようわかりました」

こういうと、まだしばらく黙っていた。

年景は、悔悟の涙の中に顔をしずめたままであった。

「おん身が、そうした心に責められているらしいことは、あの火災の後よそながら愚禿もながめておった。

――したが、その悔いに責められるのあまり、善根にいそぐお心はうれしゅうござらぬ。幾つの悔いをなしたゆえ、幾つの善をなして埋めようなどという心は仏心でありませぬ。さような形に囚われた振舞いは自分で蔑んだがよい。――悪を浅ましいというが、善根のための善をしようとする人間の心根はなお浅ましゅうはおざらぬか」

「はっ……はい……」

「流人の親鸞を見れば親のように慕う領民が、代官のすがたを見れば鬼のように逃げてゆくが、淋しいと先刻いわれた――あのお心が菩提邪、それだけでもう御仏はおん身の胸に宿られ給うに、なんで事にわかに、石を積むように悩まるるか」

「ただ、慚愧(ざんき)でござります、悔悟の念でござります。そして一時もはやく、自責の苦悶からのがれたいために」

「そのためにまた、悩みの中へ入ってゆくを、愚とは思(おぼ)されぬか。心とは、そうしたものでない。

発菩提の一瞬から、心は爽かに、眉すずやかに、寝るも起きるも、この浄土でのうてはならぬ」

「そのようになれましょうか」

「おん身は、生半可(なまはんか)な知識があるので、かえって仏の御座の一歩まえにこだわって、ずっと、安心の座にお着座ができぬ。たとえば、この親鸞のおる屋の下へ通られたように、何ものもない気持で、ずばと仏のお膝まですすまれい。――それには、小智、小惑、すべて小人の痴愚を脱(と)って、裸々たる一個の人間のままでお在(わ)せ」

「はい」

「役人である、代官である、父である、そうした雑念(ぞうねん)も無用じゃ。ただ、こう掌(て)をあわせ、念仏をお称(とな)えあるがよい。そのままついとお帰りあって、妻に会い、子を抱えてごらんぜよ、また、役所にあって政(まつり)を見られるがよい――そしてふと思い出されるごとに、また、こうして念仏されい。心がけてなされようとすることは仏に対するそれだけの勤めでよいのじゃ」

「分りました。……かえすがえす恥じ入りました。この掌(たなごころ)は上人に合せていただいたものです、必ず、こう生涯を仕ります」

「おん身のゆく先には仏光がある。怠られな、それだけを」

「いたしまする。――ついては、この機縁をもって、私を在家の帰依者の一人と思し召し下さりませ。妻もやがて、ご拝顔を得て、お礼を申しあげたいといいおります」

話しているうちに、西仏も教順も、生信房たちも、托鉢から帰ってきた。

年景は、生信房のまえに、両手をついて、いつかの年、並木で馬上から御名号へ無礼をした罪をわびた。

「あのお怨みも深かろうと思うていたに、いつぞやの危難の折には、炎の下より、私の家族どもを救い出してくだされた……あの時のおん身の姿の神々しさ……有難さ、忘るることのできないものでありました」

「いや、そう、そんなに、礼をいわれては」

と、生信房は恐縮して、年景のあまりに大きな感激に対して、彼はかえって羞恥(はにか)ましげな顔さえした。

*「生半可(なまはんか)」=中途半端なこと。どっちつかず。生半(なまなか)。