年景はまた、西仏にも先ごろの礼をいって、
「おかげで、大事な書類も、大半は炎のうちから救い出し、役向きのことも、そのため、滞りなく運び直しておりまする」
と告げた。
――そのうちに、貧しい灯りが燈る。
一日の托鉢からもどって、いとも質素な夕飯を楽しみ合っているこの人々の中にあると、年景は帰るのを忘れてしまった。
「そうそう、まだお告げしたいことがある。それはあの蜘蛛太です」
思い出して、年景がいうと、そのことは、生信房も胸につかえていたとみえ、
「……あの蜘蛛太は、どうしましたか」
「自首して来ました」
「む……。自首しましたか」
「役目ですから、私は彼を縛りました、しかし、その縄目をかける時に、私は疑ったのでござる。――いったいこの縄目は蜘蛛太にかけるのがほんとか、この年景にかけるのがほんとかと」
「…………」
一同は眼をかがやかして、そういう代官の顔を見入っていた。
こうも人間は心の一転から、その姿の持つ光までがちがってくるものか――と感じ入りながら。
「――が、やはり私は、代官でござる。縛るのは国法です、蜘蛛太は牢にいれました、所へ折よく佐渡へ渡る僧がござりましたゆえ、その僧に托して彼を流しました、怖らく蜘蛛太も、私以上に、前非を悔いておりますことゆえ、やがて仏弟子となるか、真面目な町人となって、幾年かの後には、訪ねてくる折がござろう」
生信房は、ほっとしたように、眉に明るいものをたたえた。
「ありがとうございました」
自分のことのように礼をいう。
「では、夜も晩(おそ)うなりましたゆえ……」
と、やがて彼は、上人にも暇(いとま)を告げて、暗い道を歩いて国府へ帰っていった。
――その晩は楽しかった。
「わしらの住む所、みな浄土になる」
と人々はいったが、
「いや、わしらというのは誇りがましい、念仏の声のわく所――じゃ」
こんなひどい茅(あば)ら屋と食物とに生きながら、夏も一人の病人もでなかった。
盆が来る――草からのぼる夏の月は、夜ごとに配所の人々をなぐさめた。
村々の踊りには、剽軽な西仏もまじって踊り、生信房も、歌をうたった。
――その歌にはいつの間にか、上人のことだの、念仏のよろこびが流れこんで、郷土の人々の血の中にまで、仏の精神が入った。
秋になって、桔梗の芯に朝ごとの露が美しくなると、
「どうぞ、小丸山のほうへ、お住居(すまい)をお移しねがいたい」
といって、国府代官所の役人たちが年景の使者として、鄭重に迎えにきた。
誰も知らなかったのである。
そこから数里離れた小丸山の明るい土地に、先ごろから、寺のようなものが新築されているとは聞いていたが、それが、年景が私財をもって建てて親鸞へ寄進になる住居であろうとは、夢にも考えられていなかった。
親鸞は、勅勘の身と、一度はかたく辞退したが、すでに京都へは年景から文書をもって届け出てあるとのことに、
「それでは――」
と、六、七名の弟子を連れて、竹内の配所から小丸山の新しい木の香のする家に移った。
何年目かで、初めて人の住むらしい屋根の下に彼の体と机が置かれたのであった。