ご講師:宮崎 幸枝 さん(医師、みやざきホスピタル副医院長)
浄土真宗というのは、宗名そのものがご法義なのです。
例えば天台宗というのは天台という場所の名前ですし、日蓮宗は宗祖の日蓮さんの名前、華厳宗は華厳経というお経の名前です。
浄土真宗だけが中身を表しているのです。
選択本願(せんじゃくほんがん)を説いています。
そして、この世の中に届けられた宝物について教示しています。
宝物とは何か。
それは「あなたに届いている南無阿弥陀仏」です。
あなたの口に『南無阿弥陀仏』と。
これがこの世の宝だということです。
阿弥陀様は
「任せよ、必ず救う。あなたを極楽浄土に救うから任せなさい」
とそれだけ言われています。
もうすでに、みなさんのお浄土があるのです。
誰にも必ず訪れる死。
皆さんも死んだらどこに行くのだろうと考えたことがあると思います。
人間は3歳になると死について考えるそうです。
ある科学者が、生まれたばかりの自分の子どもと同時期に生まれたチンパンジーの赤ちゃんを一緒に育てて研究したそうです。
すると3歳になるまではチンパンジーも賢く、あまり差がなかった。
しかし、3歳になると自分の子どもが
「ありんこも死ぬ、おじいちゃんもおばあちゃんも死ぬ、おとうさんおかあさんも死ぬ、ぼくも死ぬ」
と「死ぬ」ということを言い出したそうです。
小児がんや白血病の子どもも3歳になると「ぼく死んだらどうなるの」と問いかけるのです。
死は、「独生独死独去独来」というように、独りで来て独りで去っていくものですが、「独り」ということについては死と真向きになったときに初めて実感するものではないかと思います。
死について考え、死んでどこにいくのかと問うときは、阿弥陀さまに聞くしかありません。
医者もわかりませんし、お坊さんもわかりません。
「救う」と言われているのは阿弥陀さまだけなのですから。
宗教というのは、人間に「生まれた」ということであり、人間に生まれたということは「問い」があるということです。
この一生というのは何なのだろう、解決はどこにあるのだろうと思いをめぐらします。
そして、その問いについてシンプルに極めつけ解決をしてくださったのが浄土真宗の宗祖の親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。
浄土真宗は、わたしたちを必ず救う、簡単に救う、今聞いて今助かる、これをすべて叶えます。
「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」といいます。
阿弥陀さまは皆さんを抱きかかえて決して落としません。
「必ず救う、任せておけ」
と誰もを無条件に100%救われます。
これを「易行道(いぎょうどう)」と表現します。
これほど楽なことはありません。
浄土真宗について、ひと言でいえば、「ああ、いい親さまに会えたな」ということです。
そして。
私たちが、会おうと思っていなくとも阿弥陀さまは私たちを待っていてくださるのです。
親鸞聖人の最も大切なご遺言は「聞き損なってくれるなよ」ということです。
念仏を称えていれば救われるかとか、何々してればいいとか、念を押す人がいますが、そうではなく、阿弥陀さまは100%救うと言われていすのです。
私たちは0%でいいのです。
親の一方的な働き、それを今聞いて今救われるというシンプルさ、絶対他力(ぜったいたりき)です。
お浄土に参るということが決まっているという人生ほど有り難いものはありません。
この人生の解決は済んだということになります。
でも、それを信じられない人もいます。
皆さんが大事にしてきた「わたしの常識」というのが最悪です。
仏法を聴聞(ちょうもん)するのに一番の障害になります。
仏法は聴いても聞こえたかどうかが問題なのです。