お釈迦さまの出家の動機としてよく語られる「四門出遊」(しもんしゅつゆう)という説話があります。
お釈迦さまはシャカ族という小さな種族の皇太子、王子さまとして生を受けられます。
シャカ族のカピラ城というお城に住んでおられました。
幼くして母親と死に別れたということもあってか、感受性が強く、時々物思いにふける子どもだったと伝えられています。
青年となったお釈迦さまはある日、お供を連れてカピラ城の東の門から出かけられました。
するとお年寄りと遭遇しました。
お供の者に
『あれは何者か?』
とお尋ねになりました。
お供の者は、答えました。
『老人でございます。すべての人間は生身である以上、老いの苦しみを免れるものはございません』
それを聞き大変驚き、考え込んでお城へ帰りました。
それからしばらくして、また、外出することになりましたが、東の門をさけ、南の門から出かけました。
すると、道端に倒れている病人と遭遇しました。
お供の者に
『あれは何者か?』
とお尋ねになりました。
お供の者は、答えました。
『病人でございます。すべて人間は生身である以上、病の苦しみを免れるものはございません』
再び驚き、考え込んでお城へ帰りました。
また、それからしばらくして、外出することになりましたが、今度は東の門と南の門をさけ、西の門から出かけました。
すると、人の遺体に遭遇しました。
同様にお供の者にお尋ねになると、
『死人でございます。すべて人間は生身である以上、死の苦しみを免れるものはございません』と聞かされ、再び驚き、考え込んでお城へ帰りました。
そして最後に北の門を出たときに沙門(しゃもん)に出会われました。
沙門とは、「努力をする人」という意味で、その当時、老・病・死という苦しみを抱え、生まれ変わり死に変わりを繰り返さなければならない輪廻(りんね)の世界からどのようにしたら解放されるかという教えを説く宗教者が各地に現れました。
東の方にすごい説法者がいると聞くと、何日もかけて歩き、その先生の説法を聞き、そして静かな林の中でそれを自分の問題として考え、北の方にすごい説法者がいると聞くと同様に説法を聞き、自分の問題として静かに考える、そういう方々を沙門といいました。
北の門から出られたとき、その沙門に出会ったお釈迦さまは、
「あの者のまなざしはなんとさわやかなことだろう。なんと澄んできれいな目をしていることであろう」
とつぶやき、お城に引き返して物思いにふけり、やがて29歳の時に沙門となり出家をされたという物語が出家の動機として、お釈迦さまが亡くなられて後の世の人により作られた、「四門出遊」の物語として伝えられています。