1994年6月27日の深夜に事件は起こりました。
その夜11時前に突然裏庭からカタカタと音が聞こえてきました。
裏庭を覗くと犬が口から白い泡を吹いて激しく痙攣し倒れていました。
横でもう一匹の犬が既に死んでいました。
警察に通報しようと思い、妻に声を掛けましたが反応がありませんでした。
部屋に戻ると妻も口から白い泡を吹いて激しく痙攣しながら倒れていたのです。
私はすぐに救急通報をし、救急車の到着を待ちました。
そんな中、私もおかしくなりました。
最初は視覚の異常でした。
続いて激しい吐き気が襲い、立っていられない状況でした。
それでも救急隊員を一刻も早く妻のところへ誘導して妻を助けてもらいたいとの思いから玄関に出たのです。
実はこの行動が警察が私に対する最初の疑惑でした。
後の事情聴取で
「河野さん、普通であれば奥さんが苦しんでいるときに奥さんの傍を離れることはしない。あんたの行動は極めて不自然だ」
と言われました。
事件が起こったとき警察は、被害者に近い所から調べていくのが捜査の手法で警察の経験則なのです。
私自身は被害者だと思っていても一旦は疑われる存在だったのです。
結果的に私は約1年間疑われ続けました。
マスコミの間違った報道もありました。
長男に対して「(自分はもう死んでしまうかもしれないので)あとのことは頼む」と言ったことが、長女に対して「大きいことになるから覚悟しておけ」と言ったことになり、事件との関与をほのめかしたような記事になりました。
救急隊員に対して「妻を助けてほしい、犬が死んだ、犬に毒を盛られたかもしれない。私自身も体がおかしくなっている」と伝えたことが「会社員は救急隊員に薬品の調合を間違えたと喋った」という記事になりました。
通常なら裏付けをとりますが、いきなり7人が死んで数十名が負傷して入院した大きな事件ですから速報性の競争に入ったのです。
他社より1秒でも早く報じたほうが勝ち、マスコミとはそういう世界なのです。
私は第一通報者であり、病院に運ばれ治療を受けました。
まだ原因がサリンと判明していない段階でしたが偶然にもサリンの対処薬で治療を受け、それで助かったのです。
しかし、他の7名の方は一晩で亡くなってしまいました。
翌朝、刑事が来て話を聞きたいとのことでしたが、私は断りました。
断ったのは、まだ体のいたる所が勝手に痙攣している、サリンは神経毒で、目を瞑れば激しい幻覚の世界、体にモニター発信機を取り付けられ酸素マスクをつけている、そんな状況下で事情聴取が受けられる状態ではなかったのです。
しかし、警察から見た景色は違っていて、私が苦しんでいる妻のところを離れたこと、そして事情聴取を断ったことで、ますます怪しいと思うわけです。
私の疑惑が決定的になったのは薬品の所持でした。
私は、趣味の写真と陶芸で使う薬品を20数点持っていたのですが、その中で警察が目を付けたのは写真の現像液として使用する青酸化合物、毒性の強い青酸銀と青酸カリでした。
長野県警は強制捜索後の記者会見で
「河野義行宅を強制捜索した。その結果、薬品類数点を押収した。その薬品の中には殺傷力のある薬品も含まれている。今回強制捜索をした罪状は殺人罪である」
と発表しました。
ここでマスコミの経験則が働き、犯人は「もう決まり」ということになり、紙面に載る記事も「この男はこんなに怪しい」という疑惑を補強する内容が重なりました。
そして読者は「あの男がやった」という確信を抱くようになりました。
週刊誌でも報道されるようになり「会社員44歳、謎だらけの私生活」や「おどろおどろしき河野家の謎」こんな見出しで記事が掲載されました。