世の中には、仏道をはじめとして華道、茶道、歌道、香道、書道、剣道、柔道、その他にも多くのいろいろな「道」があります。
この「道」という字は「首」と「しんにゅう」から成り立っていますが、「首」は人間のことで「しんにゅう」は止まると行くという字の組み合わせだといわれます。
このことから「道」とは「人間が行ったり戻ったりするところ」を表し、転じて「人間が何度も同じことを反復思考してたどり着いた最高至善のもの」という意味で使われています。
そうすると、どの道でもずっと歩き続けて行けば、最後にはそれぞれの道の到達点に辿り着くことができるように思われます。
これを「仏道」に重ねると「仏道を歩む者は、精進し続ければ最後には仏の覚りに至ることができる」ということになります。
ただし、どの道においても、その道は決して平坦ではなく、歩き通すには相当の覚悟と忍耐力が必要です。
そのため、ただ漫然と歩いていたのでは、途中で道に迷ったり進むべき方角を見失ってしまい、そこで座り込んだり、時には道を外れてしまう人さえあったりします。
また、真摯に努力を重ねたからといって、誰もがその道を究めることができるわけでもありません。
それだけに、どの道においても一定の到達点に達した人は、人々の尊敬と称賛を受けることになります。
ところで、仏陀の覚りを開かれたお釈迦さまが歩まれた道を、私たちは一般に「仏道」とよんでいるのですが、お釈迦さまは自ら独自の道を切り開いて覚りを開かれたのかというと、決してそうではありません。
なぜなら「私は古仙の道をたどって、古城を発見したにすぎない」と述べておられるからです。
この「古仙の道」というのは、人類の歴史が始まって以来、人間がそれぞれに幸せを求めて歩んできた道のことで、私たちの先祖が私に先立って歩んで来られた道のことだと思われます。
また「古城を発見した」というのは、お釈迦さまは、何か珍しいことを自分で思いついて説かれのではなく、人間がその歴史以来それぞれに幸せを求めて歩んできた古仙の道を同じように歩んで行かれる中で、その奥深くまで歩み入って行くことによって、そこに古城、つまり真理を発見したということです。
このことを経典(「雑阿含経」)は、次のように伝えています。
比丘たちよ、たとえば、ひとりの人があって、人里はなれた森の中をさまよい、思いがけなく、むかしの人々が通った古道を発見したとする。
彼が、その道をたどってずっと行ってみると、そこには、むかし人々が住んだ古城があった。
それは、園林をめぐらし、美しい蓮の花を浮かべた池のある、すばらしい古都であった。
彼は帰ってくると、ただちにこの様子を王さまに報告して「願わくは、あの場所に再び都城をお築きください」と申し上げた。
王さまはそれを聞いて、たいへん興味を持ち、ただちに大臣に命令してそこに都城を築かせた。
すると、そこには人々がたくさん集まってきて隆盛をきわめるにいたったという。
比丘たちよ、ちょうどそれと同じように、私もまた過去の正覚者たちのたどった古道を発見したのである。
この説法の意味するところは、お釈迦さまが明らかにされたこの仏道という道は、お釈迦さまによって知られ、お釈迦さまによって説き教えられたのですが、お釈迦さまご自身は、ただ過去の正覚者(仏陀)たちのたどった古道を発見したに過ぎないと述べておられることから、この道は永遠の道だということを伝えようとしておられるように窺えます。
私たちが縁あって歩いているこの仏道という道は、お釈迦さまがお生まれになる以前から多くの正覚者が歩かれ、そしてお釈迦さま自身もそのお弟子方も、さらに私の先祖の方々も歩んで行かれた永遠の道です。
生きて行く中で私たちは、いろんなことに迷い悩み煩うことが少ながらずありますが、けれども今歩いているこの道は「迷いを超える道」だということを改めて味わいたいものです。