平成30年2月法話 『仏道は迷いを超える道』(後期)

昨年、イギリスの天才理論物理学者として有名なスティーヴン・ホーキング博士が気になる未来予測を発表されたことをご存知でしょうか。

ホーキング博士は、2016年にオックスフォード大学で行った講義の中で

「未来の人類の為に、宇宙の研究を続ける必要が有る。

私たちの繊細な惑星(地球)で、次の1000年間を生き延びられるとは思っていない。

もし宇宙に飛び立たなければ人類に未来は無いと考える。

そして、その主要なリスクは核戦争と遺伝子操作されたウィルス攻撃だ。」

と述べられました。

しかし、それから僅か1年足らずの昨年6月、BBC放送のドキュメンタリー番組の中で博士は「人類に残された時間は、せいぜい100年しかない。」と未来予測を大幅に900年も短縮修正されました。

その背景にあるのは、北朝鮮の度重なる核実験やミサイル発射の影響もあるのではと言われています。

しかし、世界各国で大きな反響を呼んだこの番組が、日本では全く話題になりませんでした。

相変わらず政治家の汚職や、芸能人等のゴシップニュースが頻繁に報道されていました。

繊細な惑星(地球)での人類に残された時間があと100年だとしたら…。

博士の視点は地球全体・人類全体にあります。

しかし私たちの日暮しはいかがでしょうか。

政治家や芸能人のゴシップでは飽き足らず、近しい付き合いの間柄でさえも、噂話や愚痴や妬みが飛び交ってはいないでしょうか。

目先のことばかりが気になり、自分のことばかりを考える。

自分の命への問いかけすら見向きすることをしないのが現代の私たちの姿であり、これこそが迷いの世界といえます。

どんなに困難な修行を重ねても、仏法を聴きつづけても、自らの力では仏となることができない。

つまり、いつまでも迷いを超えることができない存在であったと、自分自身を問い詰められた方が、親鸞聖人です。

どういう手段で迷いを超えるか、悟りを得るかが仏教ですが、親鸞聖人は「必ず救う」という阿弥陀さまのおはたらきにお任せするほか救われる道はないのだとお示しくださいました。

親鸞聖人は「凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲(よく)もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」と言われます。

私の考えで物事を捉えてしまうと、何が正しい、間違っている。

自分にとっての良し悪しや損得ばかりを考えてしまいます。

さらに欲が多く、怒りや腹立ちなど、暇がないほどその心は揺れ動いていて、それは命終えるその時まで、消えず絶えることがないのです。

そのようなことに振り回される人生ではなく、親鸞聖人からたくさんの先人たちを通じ「南無阿弥陀仏」と現代の私にまで間違いなく仏さまのお喚び声が届いている。

この事実こそが、確かに私もお浄土へと生まれる命をいただいていることの証しです。

私の方から動かなければ、お願いをしなければ、悟りを得てお浄土には行けないという救いでなく、私が心配するより先にご苦労をされ、必ずどんな命であってもお浄土へ生まれさせるというお心が、阿弥陀さまの救い「南無阿弥陀仏」です。

その阿弥陀さまのお心に気付いたとき、自分自身の迷いの姿に気付かされると同時に、仏さまへの感謝の日暮へと転換させられていく。

これが迷いを超えた道です。

南無阿弥陀仏