保育園や幼稚園、認定こども園の先生方を対象にした研修会で、参加された先生方に
「みなさんが、日頃どのような保育をしておられるか知りたいと思ったら、私は先生方が受け持っておられるクラスの子どもたちを集めて、こんなふうに呼びかけます。さあみなさん。これから保育園(幼稚園・こども園)ごっこをしましょう!」
というお話することがあります。
「子どもはあなたのコピーです」という言葉がありますが、子どもたちはまるで乾いた砂漠の砂が水を吸い込むかのように、日頃接している受け持ちの先生の口調から態度、物の見方や考え方、価値観まで、その全てを模倣していくからです。
例えば、物を両方の手で丁寧に渡す先生のクラスの子どもたちは、同じように両手で物を受け取ります。
また「おはようございます」と挨拶すると、概ね「おはようございます」と返してくれます。
子どもたちは、多くの事柄を無意識の内に保育者の姿から日々吸収していきます。
保育の現場においては、日々子どもと関わる保育者の影響力がいかに大きいかということが窺い知られますが、ここで問題なのは、子どもたちはどちらかといえば、良いところは適当にカットしても、悪いところはしっかりと、それも残さずに写し取ってしまう…、いわば恐るべき選別能力付きのコピー機能を持っているという点です。
さらに、困ったことに、この機能は無意識の内に自動的に稼働するようです。
ですから、保育者が日頃何気なく口にしている言葉…、特に変な言葉ほどしっかりと覚えていたりします。
しかも、自身ではほとんど気付いていないような様々な事柄(所作・口調など)の全てを、子どもたちは日々の関わりの中で、無意識の内にコピーしていくのです。
そこで、研修会ではこのことを通して、子どもたちにコピーされても恥ずかしくないよう、常に自身を客観視する視点を持つことの大切さを語りかけています。
ところで、3月上旬、浄土真宗本願寺派の保育連盟に加盟している鹿屋市・垂水市・肝属郡の10園から、3月に卒園していく年長児とその保護者が集まって、今年で5回目となる「園児の集い」という催しを行いました。
私が園長を務めているこども園の園児も参加したのですが、私の園では卒園して行く年長児だけでなく年中児も翌年の予習を兼ねて毎年見学に行っています。
これまでは、催しの主旨に添って年長児のみが遊戯や舞踊劇を披露してきたのですが、今年は年長児と年中児を足すと40名で、男の子と女の子がそれぞれ20名ずつでした。
そこで、今年は特別に年中児も参加することにして、男の子チーム・女の子チームに分かれて2曲ダンスを披露することにしました。
園で行う遊戯会などでは4名~5名で踊ったり、クラス全員が男女混合で踊ったりする機会はあったのですが、年長児と年中児が一緒のチームになり、しかも男女別々のチームに分かれて踊るというのは初めての試みだったこともあり、子どもたちは新鮮な感じがしたのか、それぞれ楽しそうに練習を続けていました。
「園児の集い」当日は、それまでの練習の成果を遺憾なく発揮して、男の子チームも女の子チームも、共に素晴らしいダンスを披露してくれました。
その後、園児の集いには参加しなかった、年少児クラスの子どもたちが「(年中児と年中児が踊った)あの曲を流してほしい」と、しばしばリクエストをしてくるようになりました。
上のクラスの子どもたちが練習で踊る様子を見て、自分たちも踊りたかったようなのですが、どうやら子ども心に「発表が終わるまでは…」と忖度して、我慢をしていたようなのでした。
ところが、上のクラスの子どもたちの発表も終わったので、いよいよ秘めていた思いを口にするようになったというわけです。
発表した曲は、幼児にとっては比較的振り付けが難しい上に、個別の動きがあったり、また20人で踊るため移動の仕方なども複雑だったりしたので、「音楽を流すのはよいけど、年少児クラスの子こどもたちは踊れるのかな…」と思いながら音楽をスタートさせました。
曲が始まると、年少児クラスの子どもたちは、それぞれ「私は〇〇ちゃん」「私は△△ちゃん」「私は□□ちゃん」と、年長・年中組の子どもたちの名前を口にしながら、その子どもたちが踊っていた位置に立って踊り始めました。
けれども、さすがに年少児クラスの子どもたちには、まだ少し難しいようでした。
すると、それを見ていた年長・年中組の子どもたちが、自分の位置で踊っている年少組の子どもたちの前に立って振り付けを教え始めました。
なんとも微笑ましい光景でしたが、それを見ていた子どもたちに振り付けを教えた二人の保教諭が苦笑いしながら、「(年長・年中組で教えている)あの子たちは、私たちが教えた通りに下のクラスの子どもたちに教えています」と、教えてくれました。
園では、毎朝「幼児のおつとめ」という、浄土真宗本願寺派保育連盟が制定した音楽形式の仏参を全園児が集まって合同で行っているのですが、1歳児や2歳児も年少・年中・年長児がお参りしている様子を見ている内に、少しずつ手を合わせたり礼拝したりするようになります。
「手を合わす」親ならぬ年上の子どもたちの姿に年下の子どもたちが学ぶといったところでしょうか。
同様に、家庭でも「手を合わす親の姿」に、子どもたちは学んで行くのだと思います。
核家族化した家庭には、なかなかお仏壇が見当たらないようですが、せめて食事の前後には「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせる美しい姿を見せていただきたいものです。