「明日」の読み方とそれぞれの意味

「明日」と書かれていたら、あなたは「あした」「あす」「みょうにち」、どの読み方をされますか。また、「読み方が違うのですから、それぞれ読み方にともない意味も違うと考えられるのですが、違いが分りますか」と尋ねられたらどうでしょうか。何となく分かっているようでも、改めて「それぞれの意味の確かめをして使っていますか」と言われると、「気にしていない」という人がけっこう多いのではないかと思われます。

現在では、どれも「翌日」のことを意味しているのですが、一般に日常の会話で使っている読みは「あした」です。また、丁寧に言い表すときは「みょうにち」と言い、文章の中では「あす」を読んでいます。ちなみに、漢字の使い方の基準を定めた「常用漢字表」では「明日」は「あす」と読むように定められているそうです。その理由は、常用漢字表はあくまで漢字の読み方を決めたものなので、書き言葉としての読み方が優先されるということのようです。

さて、読み方に基づく言葉の意味ですが、「あした」という言葉は、本来は「ゆうべ(日暮れ)」に対する言葉として「あさ(朝)」を意味する言葉として使われていました。それが「夕べの次の日の朝」、つまり「翌朝」を指す意味でも使われるようになり、さらに「翌日」そのものを表すようになっていきました。

また、「あした」という読み方は話し言葉で、丁寧に言うと「みょうにち」となります。同じように「きのう」も話し言葉で、丁寧な言い方は「さくじつ」になります。

現在、私たちは、「あす」と「あした」はあまり使い分けを意識することなく「翌日」の意味で使っていますが、昔はきちんと使い分けをしていました。そのために、耳で聞いただけでは、現代の用法にあてはめて理解しようとすると、何となく違和感を覚える文章もあったりします。例えば、蓮如上人の著された有名な「白骨の御文章」の中に、

朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり

という一節があります。これは『和漢朗詠集』にある「朝(あした)に紅顔あって世路に誇れども、暮(ゆふべ)に白骨となって郊原に朽ちぬ」という言葉を踏まえて、世の無常を端的に述べられたものですが、「あした」は「朝」の意味で用いられています。

そのため、意訳すると「朝は血色の良い顔をしていても、夕べには白骨となる身です」となりますが、この「あした」を現代の理解の仕方である「翌日」で理解したのでは、蓮如上人の語りかけを正しく味わうことは難しくなります。

一方、「明日」を「あす」と読んで、「翌日」のことを表しているものもあります。親鸞聖人が9歳で出家・得度された時、戒師を務めた慈円僧正から「今夜はもう遅いから、式は明日にしてはどうか」と言われて詠んだといわれるのが、次の和歌です。

明日(あす)ありとおもう心のあだ桜 夜半(よわ)にあらしの吹かぬものかは

こちらは、「明日にはどうなるか分からない」という無常なる身であることを詠んで、今夜のうちに得度をと願われたものです。

蓮如上人は室町時代(1415-1499)、親鸞聖人は平安時代末期から鎌倉時代中期(1173-1263)を生きられました。それらの時代には「あす」は「翌日」、「あした」は「朝」という使い分けがされていた言葉が、やがて「明日」=「翌日」=「あす・あした・みょうにち」の意味で使われるようになり、話し言葉としては「あした」、その丁寧な言い方が「みょうにち」、そして書き言葉としては「あす」と使い分けられているということを知ると、改めて日本語の難しさに気づかされると同時に、それをきちんと理解して使い分けることの面白さに興味を覚えることです。

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