ハートフル講話録 3月「落語に観る日本人の美しい心」(前期)落語の原点はお寺のお説教

ご講師:春風亭柳之助 さん(落語家)

「落語」は、実は明治時代以降に使われるようになった言葉で、昔は大和言葉で「はなし」と言っていました。漢字を当てると「咄」や「噺」であり、今日の新聞やニュースの意味合いもあります。そして「はなし」をする者が「噺家」や「咄家」です。落語には類似したもので「高座」があります。語源はお寺に由来しています。法要の際、僧侶が座る台のことを「高座」といいます。前に座る若いお坊さんたちを「前座」といいますが、世間に馴染んできて、野球やプロレスなどのメインイベントの前の試合を前座試合と呼んでいます。

今日、私は落語の原点であるお寺のお堂で、お話を挟みまして一席申しあげることとしておりますが、落語を演じるところを「寄席(よせ)」といいます。 人が寄る座席で「寄席」といいます。昔は、夜にしかやらなかったので「夜席」とも呼ばれました。

落語と類似した話芸に「講釈(こうしゃく)」や「講談(こうだん)」があります。昔、多くの人が読み書きできない時代には、人前で本が読めること自体が芸になっていました。歴史の物語を人々の前で、講釈台を置いて本を読んだ名残りの芸が「講釈」「講談」です。さらに、三味線の伴奏と合いの手が入る「浪曲(ろうきょく)[浪花節(なにわぶし)] 」があります。この3つの芸も、お寺のお説教が起源となっています。正直なところ、お説教だけでは難しかったり、つまらなかったりするので、説話をおもしろく砕いて工夫していくうちに形づくられ、普及したのが「落語」であり、「浪花節」です。これらが確立したのは江戸時代です。

江戸時代、戦がなく世の中が落ち着いてくると暮らしや産業が豊かになって、こういう芸事が栄えました。そして「落語」「講釈」「浪花節」よりもっと華やかになったのが「歌舞伎」や「相撲」でした。 「千両役者」ということばを聞かれたことがあると思いますが、歌舞伎の花形スターのことで、このスターが出演すれば一晩で千両のお金が落ちるという景気の良い場所が芝居小屋でした。現在でも鹿児島に「歌舞伎」が来ると、着物を着て出かけようとか、いつもより少しおしゃれをして行こうとなります。それに比べると「寄席」は、みんな下駄やサンダル履きです。気楽に気さくに楽しめるのが寄席の特徴です。

落語は、江戸の落語と京都や大阪の上方の落語、大きく2つに分かれます。違いは、机を立てるか立てないか、効果音を使うか使わないかです。元々、江戸の落語は料理屋や小屋の2階など屋内で演じられたのに対し、上方落語は屋外で演じられていました。人が行き交う屋外で、僧侶が行う「辻説法(つじせっぽう)」はまさしくその流れを汲むものです。上方落語は高座の前に大きな机のような講釈台を置きます。この台を膝隠しといって、小さな拍子木で台をちゃんちゃんと叩きながら話を進めていきます。通りで人に話をして引きつけるためには、ただ話をするだけではなかなか聞いて、もらえません。それで効果音を使って「とんとん、ちゃんちゃん」と叩きながら話を進めたのです。効果音で引きつけていくというのが上方落語や講釈です。

お寺と切っても切れないご縁で確立してきた落語ですがもとは「落ち」を語ることば遊びでした。皆さんがよく知っている小噺(こばなし)をすこし・・・「鳩がなんか落としていったよ」「ふ~ん」。「隣の空き地に囲いができたね」「へい」。「今通ったのはお坊さんかい」「そう」。「ピンポ~ン」「タッキュウ便です」。いいですね、その調子(のり)です。