親鸞聖人は衆生(人々)をどう考えておられたのでしょうか。
実はその分類は非常に簡単です。
衆生の全体を、迷っている者と悟っている者という二つのグループに大きく分けられるのです。
いまこの迷っている者というのは、いまだ真に仏教にかかわっていない人たちのことだと言ってもよいと思われます。
一方、悟っている者というのは、これは悟りに向かっている者も含むことが出来ると思うのですが、すでに仏教の教えの中にいる人(教えに導かれている人)のことです。
この二つのグループには根本的な相違があります。
どう違うかというと、迷っている人たちは、悪を好む人たちであり、悟っている人々は、善を好む人たちなのです。
迷いの中にいるから悪を好むのであり、また悪を好むから迷うのだといえるのですが、ここで問題になるのは親鸞聖人の語られる「悪」とは何かということです。
この「悪」の問題には、宗教についての親鸞聖人の考えが大きく関係しているといえます。
親鸞聖人は宗教、これはひろく「教え」というようにとらえることが出来るのですが、それを三つに分けられます。
その三つというのは、真と仮と偽です。
この三つの基準で世の中の教え、宗教のありかたを見ておられるのです。
真というのは阿弥陀仏の教えのことです。
仮というのは、阿弥陀仏の教え以外の仏教の教えです。
偽というのは、仏教以外の宗教の教えです。
なお、この偽の中には道徳とか、倫理なども含まれます。