なぜいま念仏か(4)10月(前期)

けれども実際的には、すべての人間がそのような願いを持ちながら、実現出来ることなどありえません。

にもかかわらず、そのありないことを、あたかもあると錯覚して、臨終の瞬間まで幸福に満たされた人生というものを夢見ているのが、まさに現代人の心だといえます。

ここに、現代の人々が見えない何かに呪縛されている姿が見られます。

どこまでも欲望を満たし続けようとするのが現代人の生き方ですが、そのことを実現するためにまず人々は科学の力に頼ります。

科学の力こそ、そのような生き方を実現させてくれるように思われるからです。

そのような意味で、現代人の多くは、まず科学的な迷信に呪縛されることになります。

ところが、その力によって得られた幸福も、あるとき突然断ち切られます。

死の影が不意に襲う時、科学の力の限界が露呈します。

この場合、科学の力はその人が求める幸福には、全く役には立ちません。

現代文明の中では、人は既に科学的なものの見方に慣らされてしまっています。

したがって、物事を見て判断する場合、原因と結果の法則に即して筋道を通して、物事を考えようとします。

一般に、このような理性的判断には強いのですが、その反面理性的判断が成り立たないような場合は、非常に弱い心しか持ち得ていないと言わざるを得ません。

例えば、友人と二人でドライブに出かけたとします。

そこで事故に出会ったとして、友人には何の怪我もなかったのに、自分だけが大怪我をした、といった場合です。

なぜ自分だけが怪我をしたのか、その原因がどれほど明確に分かったとしても、それで自分の心が癒されるわけではありません。

なぜ自分だけがこのような不幸を背負うことになるのか、そしてそれ以後の人生が完全に狂わされてきますと、その人にはもはや理性的な生き方は成り立たなくなってしまうのではないでしょうか。

現代文明の科学的な生き方によって、その人は不幸のどん底に陥ったとすると、この不幸を破って、幸福を得るためにはどうすればよいのでしょうか。