「親鸞聖人における信の構造」3月(後期)

親鸞聖人は後年、この時の自分の心を振り返られ、自分はその時「難思往生」を求めていたと告白されます。

「難思」というのは、思いはかることが困難であるという意味です。

阿弥陀仏やその浄土は、本来的に私たち凡夫の思議を越えています。

人間の知識ではとうてい知ることは出来ませんし、凡夫には仏の真実を見ることも出来ません。

それを信じようとすれば、当然かえって強い疑いが生じることになります。

 だからこそ、阿弥陀仏はこり凡夫の心をとっくに見通して、凡夫の心に条件をつけず、

「ただ念仏せよ、救う」

と願われているのです。

ところが、愚かなる凡夫は、その仏の大悲心を知り得ず、自分の心に確固不動の信を作ろうと努力して、結局は疑惑心を消せないことへの苦悩に陥ってしまうことになります。

 そこで、親鸞聖人はこの『阿弥陀経』による往生を「難思往生」と呼び、この一心に阿弥陀仏を信じようと努力している心を、仏智を疑惑する心であるとされ、この者は

「疑城胎宮(仏の本願を疑うが故に生まれる、阿弥陀仏の方便の浄土)」

にしか往生しないことを明かされます。

 ただし、この真理が親鸞聖人に覚知されたのは、獲信以後のことです。

したがって、比叡山における親鸞聖人は、ただ疑惑心のみの中にあり、全く救いは生じていませんでした。

 「観経往生」によって行道に破れ、今また「弥陀経往生」によって信の確立に破れられたのですから、この時の親鸞聖人は、まさに苦悩のどん底にあったと窺うことが出来ます。

一切の努力、あらゆる行道がここでは完全に打ち砕かれているのです。

法然聖人に出遇われる以前の親鸞聖人は、最終的にどのような行も信も成立し得ず、ただ絶望の淵に沈むのみであられたのです。