浄土真宗教学伝道研究センター所長 上山大峻 さん
『金子みすゞ全集を』をずっと繰ってみますと、やさしく自然を詠った詩に多く出会います。
例えば「つゆ」という詩があります。
誰にもいわずにおきましょう
朝のお庭の隅っこで
花がほろりと泣いたこと
もしも噂が広がって
蜂のお耳へはいったら
悪いことでもしたように
蜜を返しに行くでしょう
なんと優しいことでしょうか。
動物にも花にも同じ視線がそそがれています。
この心は、すべてを平等に見る仏さまの心からしか出てこない。
あるいは菩薩さまといっていいかもしれない。
そんなにみずゞさんは仏教について難しいことを知っていたわけではないでしょう。
しかし、小さい時から称えていたお念仏が仏さまの心を育てているのですね。
蓮如上人は「それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、その六字の名香のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきはまりなきものなり」と言っておられるように、お念仏には仏さまのお心がこめられているのです。
だからお念仏を申すと、私の心が仏さまの心になるのです。
お念仏を称えるものがみんな仏さまの心になるのは、浄土真宗だけです。
他の教えでは、自分で努力して仏さまの心になっていかなければならないのですが、浄土真宗は仏さまの方から、私の方にそのお心をくださるのです。
だから、みすゞさんも仏さまの心で詩が詠めたのですね。
二○○三年がみすゞさんの生誕百年でした。
もう、みすゞさんを知っている同年代の人がおられなくなってしまいます。
数年前なくなられましたが、私の知っている大野キクさんが言っておられました。
みすゞさんはかわいらしいきりっとした子で、成績が良くてときどき文章なども発表しておられたということです。
その方は仙崎の出身ですが、生家の横山家では、お寺でお説教があると子どもたちも必ずお参りをしなければならない。
そして、帰ってきたら、今日はどんな話だったかを父親の前で報告しなければならなかったそうです。
みすゞさんも、そうして仏さまの教えを聞いていたのでしょう。
しかし、決して難しい仏教の教えを勉強していたわけではないと思います。
それなのに、仏さまの心で詠める、それはお念仏の力だなぁと思います。
お念仏申すところに仏さまのお心が伝わる。
その証拠をみすゞさんが示してくれている気がします。
浄土真宗の一番大事なところをみすゞさんが身をもって示してくださっているのです。