「念仏が育てる心」〜金子みすゞの世界〜(下旬) やさしさの原点

浄土真宗教学伝道研究センター所長 上山大峻 さん

 なぜイワシのいのちも私のいのちと同じなのか。

お経にこういう話が出てきます。

 昔々、インドのコーサラ国にハシノク王とその妃マツリカがおられた。

その国はよく治まり、農作物もよくでき、人民も平和に過ごしていました。

ある時、王さまがふと妃に「お前は世の中で何が一番いとおしいか」と尋ねられました。

王妃はしばらく考えておられましたが「大王世、自分が一番いとおしゅうございます」と答えた。

そして「そう尋ねられる王さまは、誰が一番いとおしいと思われますか」と尋ね返しますと、王も「自分が一番いとおしい」と言われたのです。

けれどもそれでいいのろだろうか。

どうも間違っているような気がして、二人は平素から親しくしておられたお釈迦さまのとろこへ出かけられ、二人で話したことについて尋ねられました。

すると、お釈迦さまは「その通りである。

生命あるもの全て、自分が一番いとおしい。

だから人もまた自分と同じように自分を一番いとおしいと思っていることに気付かなければならない」とおっしゃったのです。

これは『阿含経』というお経に出てくる短いお話ですが、私はこのお話こそ、仏教の核心だと思うのです。

 以前「人をなぜ殺してはいけないのか」と子どもたちが素朴な疑問を出して大問題になりましたが、実は仏教ではここに人を殺していけない、殺させてはいけないという理由が語られているのです。

私たちはいつも自分が得をするように、私だけは生き延びるように私を一番大事にしていますが、人もそうなのです。

それに気付かせるのが仏さまの教えなのです。

 私と同じように、自分を大事にしている人の生命を奪ったり、悲しませたりする権利は誰にもありません。

「私が一番大事」、そのことは自己中心の煩悩でしょう。

お釈迦さまの教えは、自分に向いている煩悩を他の人に向くように方向転換をさせたのです。

これが仏教なんですね。

 仏さまの教えによって、自分だけよければよいという考え方が変わって、人の痛みが自分の痛みとなり、人の喜びが私の喜びとなるような心になってくるのです。

みすゞさんの「やさしさ」は、そこに原点があるのです。