それで、私は韓国では一番下の身分とされていたキムチの甕(かめ)を作る工場へ飛び込みました。
そのときの言葉がまたすごい。
「韓国人が一週間持たない工場で日本人が三日持つものか」
と言われたんです。
私はここで逃げたら、一億二千万の日本人の顔に泥を塗ることになると思いました。
そこでは、午前二時から午後六時まで、住み込みで一年間頑張りました。
きつい仕事でしたが、韓国社会というものを上からではなく、底辺から見ることが出来たいい経験でした。
そんな中、韓国で仕事をしながら思っていたのは、自分の故郷って本当にここなのだろうか、ということでした。
「十年経てば、山河も変わる」
と言いますが、やはり自分の故郷というのは、自分の家族なのではないかと、そう思ったのです。
私は幼い頃から、父に
「人間には二つの生き方がある。
喉が渇いて水を探しに行く動物的生き方があれば、雨が降るまでずっと待ち続ける植物的生き方もある。
君は桜島の松のように、植物のように生きなさい。」
と言われて育ちました。
つまり、鹿児島で根をはり、鹿児島で自らのベストを尽くし、ここで絶えるということです。
そして、そんな私に求められていることはなんだろうと考えたとき、やはり鹿児島というローカルであるということだと感じています。
私は仕事の中で、もっと薩摩焼きの神髄を、そして鹿児島的なものを貪欲に追求していかなければならないと思っています。
京都や有田や備前の中途半端なまねをするのではなく、徹頭徹尾、薩摩であることが求められているのです。
そして今、もう一つ求められていることは、このハイテクな時代の中で、ローテクであるということです。
ローテクというのは、人間の手仕事で物を作るということです。
バーチャルという実態のない存在がたくさん生まれてきているインターネット大隆盛の中で、人間が手で物を作るんです。
それも五年や十年じゃない、長い年月訓練していかないとこういう仕事は出来ませんよ、という意味での質量感のある仕事をしなければなりません。
ローカルとローテク、これが私の21世紀のキーワードになっています。