「大阪のおばちゃんに学べ」
という言葉があります。
大阪のおばちゃんは雑談が大好きです。
とても楽しそうにおしゃべりしている様子から、その相手と知り合いなのかと思ったら、実は全然知らない人同士だったということも珍しくありません。
知らない人同士でも、そうやって話し込んだり出来るんですね。
私も大阪の大学で授業をする時に電車に乗りますが、その時にパソコンで仕事をしていますと、おばちゃんが隣からのぞき込んできて
「お姉ちゃん、何しとるん?」
と話しかけてくるんです。
そして、そこからの会話がもう途切れません。
「いくらくらいやろか」
「どこで買うんやろうか」
「難しそうやね」
と、延々と続くんです。
私はそういうのに慣れていなかったものですから、適当に受け答えしていました。
大阪の友人にそのことを話すと、
「そんなふうに冷たく答えたらだめ。
私のときは、この店に言ったらええですよとか教えてあげて、他にもいろいろお話したよ。
そしたら帰りに、お礼だってドーナツもらっちゃった。
それぐらいしなきゃだめよ」
と言われました。
知らない人同士でも気軽に雑談をして、最後は友だちみたいになれるやりとり。
これは、大阪の文化といってもいいですね。
それを今の若い人は、うっとうしいとか、面倒くさいと言って避けてしまう。
それで、逆に相談する機会を失い、周りに相談する相手もおらず、相談する時には専門家のところに行くという状況を生んだのではないでしょうか。
ときどき、精神科に来る患者さんの中で、すごくすっきりした顔で診察室に入ってくる人がいます。
ずいぶん元気そうですねと聞くと
「待合室で他の患者さんとしゃべったらすっきりした」
と言われました。
待合室で待っている間に他の患者さんと雑談をすることで、内側にため込んでいたいろいろなものを吐き出して、それで楽になったということなんですね。
もちろん精神科でも薬を出しますが、薬を出す以外に私たちがやっていることは、患者さんに言いたいことを全部しゃべってもらうということです。
それで本人が
「ああ、今日は言いたいことがよく言えた」
と思ったら、その時点で症状の6割7割はよくなります。
それでも治らない部分を薬で治療するんです。
だから
「話す」
ということは、非常に大事なことなんです。
もちろん、話をするには聞く人も必要で、相手の話を聞いてあげるのも大事です。
でもそれは、何か専門的なトレーニングを受けてなければだめということではありません。
井戸端会議とか、赤提灯とか、病院の待合室、あるいはスーパーでの立ち話のような、そんなレベルの日常的な雑談でいいんです。
話をするということ自体が重要なんです。