「生きづらい時代を豊かに生きる」(上旬)密室の中で恐ろしいことが起きている

======ご講師紹介======

香山リカさん(精神科医)

☆演題「生きづらい時代を豊かに生きる」

昭和35年、北海道生まれ。

東京医科大学を卒業後、北海道大学医学部附属病院で研修。

学生時代から雑誌社に寄稿され、『キレる大人はなぜ増えた』『おとなの男の心理学』など多数の著作があります。

また臨床経験を生かし、解説者としてテレビ番組に出演される他、新聞・雑誌で社会批評、文化批評、書評なども手がけ、現代人の心の病について洞察を続けておられます。

現在は立教大学現代心理学部映像身体学科教授もお務めです。

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 精神科に来られる人の中には、若い女性やシュアの方もたくさんいます。

話を聞くと、子育てや夫との生活の悩みだったりするんですが、実は精神科でなくても、ご近所との会話の中で解決する程度の問題だという場合も少なくありません。

でも、今のマンション暮らしというのは、そういう会話、隣近所との付き合いがありません。

それぞれが孤立してしまっているんです。

以前、埼玉県のベッドタウンの病院に勤めていたとき、近くの団地に訪問指導をしていた保健師さんなどから、現実とは思えないような話をよく聞きました。

例えば、ある保険師さんの所に相談の電話がかかってきました。

その内容は、

「子どもが2歳になるのに、全く歩くそぶりがない。

具合が悪いのかもしれない」

というものでした。

その場所で保険師さんが見たのは、きれいな部屋の一角にしかれた2枚のビニールシート、そこに子どもが座らされている光景でした。

子どもはそこから出ないようにしつけられていました。

それで、その子のお母さんは真剣に

「外に連れて行って歩かせようと思っても歩かない」

と言っているんです。

これは一歩間違えれば虐待ですね。

でも、本人には虐待しているつもりは全然ないんです。

その様子に保険師さんがビックリして

「はいはいとか、何かにつかまって歩く練習とか、そういうことはしましたか」

と聞くと、

「そんなことしたら家が汚れるじゃないですか。

それで、ここを出ないように言ってあるんです。

この子はお利口だから、ちゃんと出ないようにしてくれているんですよ」

と言うんです。

このお母さんは、大学を出てともて優秀な経歴を持つ人だったんですが、育児書に

「1歳2カ月で歩く」

と書いてあるのを見て、子どもはある時期になると教えなくても自然に歩けるようになるものなんだと思っていました。

それで、保険師さんから立って歩くためにはいろいろな練習や努力、試行錯誤が必要なんだということを教えられて、初めて

「ああ、そうなんですか」

というふうに気付いたそうなんです。

保険師さんが言うには、その団地は外から見ると普通の団地だけど、中はとても異質で、それぞれが孤立した密室の中で恐ろしいことが起きているとのことでした。

これは住人同士で交流があれば、会話をしたり、ご近所の様子を見聞きしたりするうちに分かるようなことです。

でも、お互いが完全に孤立していて、しかもそれをどこにも相談できないから、かぐに保険師とか児童精神科といった専門家の所に相談しようとする人が出てくるのでしょうね。

だから、今は本当に心を病んでいる人が増える以前に、逆にまだ精神科に来なくてもいい人たちが精神科に来ていることになります。

これは、日常生活の中で普通の会話やコミュニケーションができない、そういう機会がとても少ないということです。

以前なら、男性が赤提灯と言われるような居酒屋で、女将さん相手に愚痴を言ったりするのもコミュニケーションだったかもしれませんね。

でも、今どきはそういう雑談の機会が減ってきているように感じられます。

日常でのお付き合いのある近所の方、お友だちと何気ない雑談をする。

例えば痛い思いをしたという話題で共感したり、話を聞いたりする、それだけですごく楽になったりすることもあります。

今の若い人たちはそういう雑談ができなくなっている。

これはとても大きな問題ですよね。