「おお、ほんに」
範宴は、箭四郎の手をとって、
「よいものがある」
「なんでございますか」
「まあ、来てみやい」
自分の居間へつれていった。
「あ……」
箭四郎は、ぺたんと、部屋のまん中に坐って、一隅にある木彫の坐像にまろい眼をみはった。
それは、得度をうける前の十八公麿のすがたそのままであった。
頭には、黒髪まで、ふさふさと植えられてあるのである。
「これは、どうしたものでございますな」
「されば」
と、性善坊は、側から、その坐像のできた由来(わけ)を話すのに、つぶさであった。
光斎と、祥雲の二人の仏師は、十八公麿の面ざしを見て、よほど、心をひかれたらしい。
生ける菩薩のようだといって、慾も得もなく、彫ったのである。
そして、彫りあがると、
【よい勉強をいたしました】と、坐像は礼に置いて行ったのであるという。
「ははあ……」
箭四は、見恍(みと)れて、
「そういわれれば、生きうつしでござりますな。
して、黒髪は」
「和子さまが、得度の時の黒髪を、そっくり、仏師たちが、植えこんでくれたのじゃ」
「道理で……。ウウム、ようできている」
「箭四よ」
「はい」
「これを、お養父君と、弟の朝麿とに、十八公麿のかたみじゃと申して、そなたが、負うて帰ってくれぬか」
「なによりの儀にござります。
これをお館に置き遊ばしたら、すこしは、おさびしさが、紛れましょう」
「もう、二度と、この身にない相(すがた)じゃ。
――御恩のほどは、この像に、たましいをこめて、朝夕に、忘れずにおりますと、よう、お伝え申しての」
「しおらしいこと仰せあそばす……」
箭四郎は、それから、少し話していたが、日が暮れると、近ごろは気味がわるいといって、あわてて、坐像を帯で背に負って、もどって行った。
そしても山門まで送ってくる二人へ、
「ここにいては、町のことは、見も、お聞きも、遊ばしますまいが、いやもう、この夏の旱(ひでり)やら、木曾勢を討つつもりで出かけた宗盛卿が、さんざんに破れて、都へ逃げもどって来るやらで、京は、ひどい騒ぎの渦でござります」
歩きながら、尽きない話を、喋舌(しゃべ)っていた。
「――そんなかのう」
「現世で、地獄の風のふかない所は、まず、御所にもなし、お寺の庭だけでございましょうよ。
――昨夜(ゆうべ)あたり、五条の近くまで、用たしに出ると、磧(かわら)に、斬られたか、飢え死にしている死骸の着ている布を、あさましや、野武士カ、菰僧(こもそう)か、ようわかりませぬが、二、三人して、あばき合って、果ては掴(つか)みかかって争っているではございませんか。
まったく、眼を掩(おお)うてでなければ、町は歩いていられませぬ」
山門には、鴉(からす)が啼いていた。
「ああ、暮れる……」
と、つぶやいて、袖門の潜りを出て、箭四郎は、もいちど、振りかえった。
「では――ごきげんよろしゅう、和子さま、いや範宴様、これから寒くなりますから、おからだをな……介どの、さようなら」