「お師さま。きのう仰っしゃったおことばは、嘘ですか」
慈円は、慈円は、笑いながら、首をふった。
範宴はたたみかけて、
「――でも、きのうは、供をゆるすと仰っしゃりながら、今朝は、知らぬ顔をして、お山へ立って行こうとなさるではございませんか」
「…………」
慈円はまた顔を振った。
「忘れたのじゃよ」
やむなく、僧正はこういって、範宴をつれてゆくことに、肚をすえてしまったようであった。
しばらく行くと、雪の中に、性善坊が立っていた。
彼は、ゆうべからの範宴のすることを知っていたが、自分が生なかなことばを挟んでは、かえって、範宴の意志が徹らぬようなことになるであろうと、わざと知らぬ顔をして、先へ廻って待ちもうけていたのである。
範宴の登岳をゆるした以上、当然、性善坊の供をゆるさぬわけにはゆかなかった。
で、そこから僧正についてゆく供の弟子僧は、すべてで五名になった。
雪は、吹きつのってくるので、
「今日は、麓口でおやすみになって、明日でも、雪の霽(あ)がるのを待ってから、お登りになっては――」
と、供僧のうちで、いう者が会ったが、気性のはげしい、そしてまだ若い僧正は、
「なんと」
と、脚もとめないのであった。
もっとも、新座主の登岳は、今日ということに、半月も前から叡山へは通牒(つうちょう)してあるので、それを違えれば、中堂の人々や、一山の大衆に多大な手ちがいをかけなければならないから、
「では」
と、供の者も、強(た)ってとは、止めることもしなかった。
「おうーい」
後ろで、誰か呼ぶような気がするので、五名は振り向いた。
白い光の縞が・斜めに天地をかすめている。
遠くからながめると、飛んで白鷺(しらさぎ)とも見える二つの蓑笠(みのかさ)をかぶった者が、
「おうーい」
声をあげつつ、来るのであった。
「誰だろう?……」
しばらくの間、雪にふきつけられたまま、五名は佇んで待っていた。
蓑笠の二人はやがて、近づいてきて、
「その中に、少納言どのは、おいであるか」
と、いった。
「はい」
範宴は、答えて前へ出た。
「おお」
と、蓑を刎ね上げて、一人は前へすすみ、一人は、雪の中に、手をつかえた。
彼の小さい手を、握りしめた人は、彼の儒学の師範であった日野民部忠経だった。
うしろで、手をつかえているのは、この間、範宴がかたみぞといって植髪の坐像をもたせて帰した六条の召使、箭四郎なのである。
「先生」
範宴は、思いがけなかったように、そして、欣(うれ)しさに、こみあげらるように、瞼(まぶた)を赤くした。
民部は、ことばに力をこめて、
「たった今、青蓮院へ伺ったところが、かくのことに、追ってきたのじゃ。
箭四郎をも、誘ってきた。
――六条どのは、わざと来ぬが、くれぐれも、身をいとしめとのお言伝て……。
修行の一歩、こなたも、欣しく存ずる。
誓って、勉学しなければなりませぬぞ」
「はい」
怺(こら)えていたものを、範宴は、ぽろりと一雫、こぼしてしまった。