二行目の
「山のお寺の鐘がなる」。
日本の仏教は、山の仏教から始まるんだと私は思っています。
最澄や空海が山に道場を作ったその時から、外来の仏教が日本人の心の中に浸透してきたと。
それ以前の仏教というのは、奈良時代の仏教です。
奈良時代の仏教というのは、単なる頭の中の仏教、学問の仏教です。
もちろん修行する人もいたでしょうけど、都市のど真ん中の都市仏教で研究していた学問仏教、最近のことで言いますと、東京大学とか京都大学、国立大学で教えられている学問仏教と何ら変わりはありません。
いわば首から上の仏教。
それが、本当に生活の中に溶け込むようになるのは、山の仏教からです。
最澄や空海の時代からです。
ですから、二行目の「山のお寺の鐘がなる」
朝から晩まで、山のお寺の鐘がなる。
その音を聞いて、人びとは生活してきた。
鐘の音で朝起きて顔を洗い、食事をする。
政治的な集会の合図にする。
あるいは、市場に立つ。
ときには、犯罪人が処刑される。
全部鐘の音が合図ですよ。
それを忘れちゃいけないですね。
三行目
「お手手つないで皆かえろ」。
夕日が美しく見えるころになり、子どもたちに
「家に帰りなさい」
「お父さん、お母さんがいるところに帰れ」。
田舎から出て都会であくせく働いて、五十、六十になって定年を迎える。
気がついたら、自分の心の中は荒れているではないか、自分の心を耕せというふうに聞こえませんか。
そういうふうに聞いたと思いますよ。
だから、我われの心の中に、ずっと響き続けてきたのではないかと思います。
最後に
「カラスと一緒に帰りましょう」。
帰るべきところに帰るのは、人間だけではないというメッセージです。
動物たちも、小鳥たちと一緒に帰るべきところに帰ろうよ、ということです。
いま日本列島、どこに行きましても
「共生」という言葉を聞きます。
「共に生きる」。
これが日本人の口癖のようになってしまいました。
本来は、人間と動物と一緒に生きましょう、人間と自然と共に生きましょうというメッセージだったはずです。
だけど、最近の
「共生」という言葉を聞いていますと、
「俺は生きたい」
「俺だけ生き残りたい」
という、人間のエゴイズムの大合唱のように聞こえて仕方がありません。
共に生きるものは、やがて共に死ぬんですよ。
形あるものは、必ず滅するんですよ。
それが、仏教の無常ということでしょう。
なぜ「共生共死」と言わないのか。
共に生きるものは、やがて共に死ぬ運命にあるということを自覚して初めて
「共に生きる」という言葉が、重みのある言葉になるのではないでしょうか。
やがて共に死ななければならないからこそ、今ある生を喜ぶ。
今ある生の大切さを自覚するということにならなければならない。
「共生」ということは
「共生共死」ということがあって初めて、本当の意味を持つんです。
日本の仏教界は、まだこのことに気づいていません。
今の多くの日本の知識人は、自分を無宗教、無信仰であるといってはばかっている。
このような状況の中で、私たちの心の原風景はいったいどうなっているのかということを考えなきゃいけない。
初心にかえって、私たちの心の奥底に、私自身を支えてくれているものはいったい何なのかを考えるべきです。