口論や、なぐり合いは、日常茶飯事であるし、何か事ある時は、身を鎧(よろ)い、武器をひっさげて、戦をもする当時の僧であった。
気のあらい学僧たちは、朱王房のことばに、すぐ、眼にかどを立てて、
「誰が、いつ、自己を侮蔑したか」
「したじゃないか」
朱王房も、負けていないのである。
「なるほど、皆のいう通り武家というやつは、勝手者だ、わけても平家の如きは旺(さかん)な時には、神仏を焼き、衰えてくると、神仏にすがる、怪(け)しからぬ一族だが、その武家に養われて、平家の世には、源氏を呪い、源氏の世には平家調伏の祈りをする、われわれ僧侶という者のほうが、いくら、役目とはいえ、神仏を馬鹿にしているものだ。
――だから、平家を罵(ののし)ることは、自分たちを罵っているのも同じことだといえる。
――そういったのは間違いだろうか」
「…………」
「三塔の権威がどこにある」
皆が、黙ったので、朱王房は、得意になってなおいった。
「――この一山には、三千の僧衆がこもって、真言(しんごん)を修め、経典を読んではいるが、堂塔も、碩学(せきがく)も、社会にとっては、縁なき石に等しい。武家が天下を取ったり取られたりするたびに、心にもない祈祷をし、能も、智慧もなく、暮らしているのが今の僧徒だ。恥しいことではないか」
すると、妙光房という学僧が、
「いかにも、朱王房の説のとおりだ――。僧徒だからとて、時の司権者に、圧(おさ)えられて、無為無能に、納まってばかりいていいものではない」
と、共鳴した。
「いや、違う」
という者も、出てきた。
「なぜ、違う?」
「僧には、僧の使命がある。――政治だの、戦だの、そんな有為転変を超えて、社会よりも、高いところにあるのが僧だ、叡山だ。――平家が悩む時には、平家も救ってやろう、源氏が苦しむ時には源氏もなぐさめてやろう。それが仏徒の任務だと思う」
「ばかなっ」
朱王房は、一言に退けて、
「支配者ばかりが、人間か――平家という司権者の下には、何百万の人民がいることを忘れてはならない。
その民たちが、望むところを、助成してやるのが、僧徒の使命だ」
「じゃあ、僧徒は革命家か。……飛んでもないことをいう」
「そんな、大それたことを、いうのじゃない」
「でも、朱王房のいうことは、そういう結論になる」
「俺は、悪政の下に、虐げられている民へ、諦めの哲学や、因果などを説法して、司権者の代弁人ばかりしているのが、僧徒のつとめではないということだけをいうのだ」
「じゃ、僧徒は、何をすべきか――。それを聞かせてもらおうじゃないか」
「することは、沢山ある。―――だが第一に、なさねばならぬことは、まず僧徒自身の粛清だろう。
叡山自体が、腐敗していては何もできない。――実社会にとって用のない、穀(ごく)つぶしの集まりだ、堂塔が鴉(からす)の巣にならないように、番をしているだけの者に過ぎない」
「生意気をいうなっ」
と、学僧の一人が、法衣(ころも)をたくしあげて、朱王房の横顔を拳(こぶし)で撲った。