「あっ」
打たれた頬を抑えながら、
「生意気とはなんだ」
朱王房も、拳をかためて、立ち上がった。
あわや、組み打ちになろうとする双方の血相なので、
「まあ、待てっ」
「議論のことは、議論でやれ」
学僧たちは、引きわけて、
「朱王房のことばも、あまり過激すぎる。そんなに不甲斐のない叡山なら、自分からさっさと山を下りたらいいじゃないか」
「そうだ、いくら、叡山が無能だからといって、自己の生涯を托している御山(みやま)のことを、今のように、いうのはよくない」
「若い、若い口は誰でも、悲憤慷慨(ひふんこうがい)はいえるものだが、自分で、やれといわれたら、何もできるものじゃない」
「社会もそうだ、山もそうだ」
多勢(おおぜい)の声には、朱王房も、争えなかった。
打たれた頬の片方を、赤くして黙りこんだ。
すると、さっき、彼のことばに賛意を表した妙光房が責任を感じたように、
「いや、朱王房のことばは、露骨で、云いかたが悪いのだ。彼には、何かほかに、感じることがあって、ついその余憤が出たのだろう。なあおい、そうじゃないのか」
「うん……」
朱王房は、うなずいた。
「この間も、俺をつかまえて、憤慨していたから、あのことをきっと、いいたかったに違いない」
「あのこことは?」
「新座主の問題だ」
「ふーム」
学僧たちは、新しい話題に、好奇な眼を光らしあって、
「新座主といえば、こんど、青蓮院からのぼられた慈円僧正だが、その座主について、何か問題があるのか」
「朱王房、いってみろ」
「ないこともない――」
と、朱王房は、顔を上げた。
「どんなこと?」
「ほかではないが」
「うむ」
「俺のような、一介の末輩がいうのは、おそれ多いとも思ってだまっていたが……。慈円僧正の態度は、三千のわれわれ大衆を無視しているばかりでなく、真言千古の法則を、座主自ら、勝手に紊(みだ)しているものと、俺は思うのだ。
――そんなだらしないことでは、山の厳粛がたもてるわけのものじゃない。だから、吾々の法城は、もう実のところ何の力もないのだ。鴉の番人というように嘆息が、つい出てしまう……。いい過ぎだろうか」
「座主が、自ら、山の法則を紊(みだ)したとは、どんなことか」
「誰も、知らないのか」
「知らん」
「じゃ、いうが……。この冬、新座主と共に、登岳した範宴少納言という者を、各々は、見ていないか」
「あの小さい稚僧か」
「そうだ」
「あれなら、よく見かけるが、まるで嬰(あか)ん坊じゃないか。未丁年者を、山へ連れてきたということは、ちょっと、碩学の中で、問題担ったが、結局、取るにたらん子どものことだし、僧正が青蓮院に在住のころから、お側に侍(かしず)いていた者でもあるし…と黙認になっているのだから、そのことなら、問題にはならんぜ」