「音楽のキセキ」(上旬)口に出して言うことが大事

ご講師:吉俣良さん(作曲・編曲家)

大学時代、僕は県庁の職員になるつもりでした。

高校では吹奏楽部ですごく真剣に取り組んだんですが、高校時代のいい思い出のつもりだったんですね。

だから、大学でも4年間楽しもうという気持ちでジャズ研に入ってピアノを弾いていました。

夏休みで東京から鹿児島に帰ってきた際、高校の先輩の縁で、鹿児島大学のジャズ研の人たちと一緒にやるようになりました。

そこから鹿児島や東京のプロミュージシャンの人たちとつながりができていったんです。

当時は、音楽の世界でプロを目指すつもりは全くありませんでした。

それで冷やかしのつもりでその人たちのオーディションに行ってみたら受かってしまったんです。

僕は試験の都合で無理だと断ったんですが、向こうは僕を4カ月も待っていてくれたみたいなんですね。

それで断れなくなって、そのバンドの人たちと一緒に六本木のクラブでピアノを弾くことになりました。

1年くらいはいいかと思っていたら、そのうちプロの人とやるのが楽しくなり、楽器がほしくなりました。

楽器は高額でしたが、たまたま美空ひばりさんのバックバンドのオーディションがあったので、ダメもとで行ってみました。

結果はなんと合格。

それで1年経つころには音楽をやる気になっていましたね。

その後、美空ひばりさんのバックバンドの経験を買われて、いくつも仕事がくるようになりました。

でも演歌ばかりで、それが嫌で、周りの人に

「演歌は嫌だ」

と言っていたんです。

すると、それを聞いていた人がポップスの仕事などを紹介してくれたりして、かつて自分が憧れた仕事もできるようになりました。

不思議なことに、自分がそこに来ると、その先に行きたくなるんですよね。

次はレコーディングがしたいと周りの人に言っていました。

するとやっぱりそういう話をもってきてくれる人がいるんですよ。

僕がサントラ(サウンドトラック)の仕事をするようになったのも不思議なご縁でした。

レコーディングの仕事で知り合った、あるレコード会社のディレクターとの会話の中で

「次は何をしたいですか」

と問われたとき

「サントラやってみたい」

と何気なく答えたんです。

そうしたら、ちょうど『おいしい関係』というドラマの企画があって、彼が僕を推してくれたんです。

それからサントラの仕事をするようになりました。

そのころ作曲した中に『Kiss』という曲があります。

業界の人の信用をつかみ、当時無名だった吉俣良が独り立ちするきっかけになった曲です。

その後NHKの朝ドラ『こころ』や

「Dr.コトー診療所」

などの曲もやらせてもらいました。

話題のサントラ作家として取材がきたとき、僕は

「次は大河ドラマ」

などと記者の人に言っていましたが、それは全く重圧にならないんです。

どうせ話はこないと思っていましたから。

でも、口に出して言えばその話が来るかもしれないと信じているんです。

結局できなかったとしても、誰も何もいいませんよ。

でも実現すれば、有言実行の人になるんです。

だかせ言ってもいいんですよ。

言うことが大事なんですから。

歌手でも俳優でも何でも、自分がなれるわけないと、自分で自分の可能性を否定しないでほしいんです。

そういう有言実行を子どもたちにも伝えています。