座主の室で、銅鈴が鳴った。
役僧のひとりが、執務所の机を離れて、
「お召しですか」
ひざまずくと、帳(とばり)の蔭で、
「範宴をよべ」
と、いった。
「はっ」
「―――ここではなく、表の方へ」
「かしこまりました」
座主の慈円僧正は、そういってから後も、しばらく帳の蔭の机に凭(よ)って、紙屋紙(かみやがみ)を五、六枚綴じてある和歌の草稿に眼をとおしていた。
それが済むと、何やら消息を書いて、
「待たせたの」
と、縁の方へ、眼をやった。
京から使いにきた小侍がひとり板縁に、畏(かしこ)まっていたが、
「どう仕りまして」
と、頭を下げた。
「では、これは月輪殿へおわたしいたして、よろしくと、伝えてください。
――慈円も、登岳の後、このとおり、つつがのう暮らしているとな」
「はい」
草稿と、消息をいただいて、京の使いは帰って行った。
月輪の関白兼実は、すなわち座主の、血を分けた兄であった。
で、時折に便りをよこして、便りを求めるのである。
慈円も、関白も、この兄弟は共に和歌の道に長けている。
ことに、僧門にあって貴人の血と才分にゆたかな慈円の歌は、当代の名手といわれて、その道の人々から尊敬に値するものという評であった。
座主は、使いを返すと、そこを立って、中堂の表書院へ出て行った。
居間々呼ばれるなら常のことであるが、表の間に待てとは、何事であろうかと、範宴は、ひろい大書院の中ほどに、小さい法体を、畏まらせて、待っていた。
「近う」
と、慈円はいう。
畏(おそ)る畏る、範宴、前に出る。
そのすがたを、慈円は、眼の中へ入れてしまいたいように、微笑で見て、
「入壇のことも、まず、済んだの」
「はい」
「うれしいか」
「わかりません」
「苦しいか」
「いいえ」
「無か」
「有です」
「では、どういう気がする」
「この山へ、初めて、生れ出たような…」
「む。……しかし、入壇の戒を授けたからには、おもともすでに、一個の僧として、一山の大徳や碩学と、伍して行かねばならぬ」
「はい……」
「白髪の僧も、十歳の童僧も、仏のおん目からながめれば、ひとしく、同じ御弟子(みでし)であり、同じ迷路の人間である」
「はい……」
「わが身を、珠とするか、瓦とするか、修行はこれからじゃ。
いつまで、わしの側にいては、その尊い苦しみをなめることができぬ。
わしに、少しでも、いたわりが出てはおもとのためにならぬ。
――師を離れて、真の師に就け。
真の師とは、いうまでもなく、仏陀でおわす。
――ちょうど東塔の無動寺に人がない。
枇杷(びわ)大納言どののおられた由緒ある寺。
そこへ、今日からおもとを、住持として遣(つか)わすことにする。
よろしいか、支度をいたして、明日からは、そこに住んで、ひとりで修行するのですぞ」